歴史

防災歳時記5月26日 「日本書紀」に最古の地震記録

 599年の今日5月26日は日本で最古の地震が「日本書紀」に記録された日である。

 

 地震の記録はほんのわずかで「多くの建物や地面が崩れ、後に地震の神を祀るよう命令がくだされた」という。

 

 当時は女帝・推古天皇の治世。この時期は摂政の聖徳太子の方が有名であり、彼が手がけたとされる法隆寺が地震にも強い、こちらは日本どころか世界最古の木造建築(五重塔などの西院伽藍)というのはよく知られた話だ。

 

 法隆寺は地震を意識して作られたのか?

 

 たとえば現存する五重塔は710年ごろに建てられたという。当時の最先端技術は全て中国からの輸入に頼っていたが、そもそもこうした仏塔は“石”で作られるのが普通。アジア全体を見渡しても、当時、木造の仏塔を建てる風習や技術はなかった。

 五重塔は完全に日本オリジナルの工法である。では、いかにして当時の工人たちは、1300年もの間、揺れを吸収するような奇跡の建物を建立できたのか。

 

 一説によると、五重塔は各階が独立した構造になっているが、大きな地震が来た場合は、塔の中心を貫く心柱が芯となり、各階が大きく揺れても、その芯にぶつかることによってエネルギーを吸収し、見事なバランスを保つという。たとえば2階部分が西に大きく振れて倒壊しそうになっても、他の階が東や南、北へ方向を取ることにより、一つだけ飛び出そうな揺れを抑えるのだ。

 

「出る杭は打たれる」ではなく「出る階は打たれる」。

 

 なんだかこの構造、似ていないだろうか。「和をもって貴しと為す」と説いた聖徳太子に。

 

 彼は、天皇を中心、その周囲に役人を配置して、それぞれの協力のもと政治を進めつつ、特定の豪族が権力を振るうことを禁じた。法隆寺の心柱が天皇で、各階が豪族たち。そう言ったら考え過ぎだろうか。

 

 聖徳太子の死後、有力豪族の蘇我蝦夷・入鹿親子は山背大兄皇子(聖徳太子の子)を殺害し、権力を好きなように振る舞い、645年、今度は自分たちが中大兄皇子と中臣鎌足によって殺害された。

 

「出る杭は打たれる」

 

 日本で暮らしている限り、人生も建物も、この言葉が鍵なのかもしれない。

 あなたにオススメの記事