歴史

防災歳時記6月3日 雲仙普賢岳 身を守るのはリアルなイメージ

 今から22年前、1991年(平成3年)の今日6月3日に雲仙普賢岳の火砕流で、報道関係者など43人の命が失われた。

 

 この中には火山学者なども含まれていたが、被害を大きくしたのは間違いなく「報道」の責任だ。

 

 当時、火砕流というものの映像的インパクトが強かったから、報道関係者の多くが避難勧告地域内の「定点」と呼ばれる火砕流の映像がベストアングルになる場所にたむろしていた。

 

 そんな中、あるテレビ局のクルーが定点カメラを設置するために避難して留守の民家に入り、電源コンセントを勝手に借用するという事件が持ち上がり、消防団員や警察官も再発防止のため避難勧告地域内に出動させられていた。

 

 結果、6月3日午後4時8分に発生した火砕流で、そうした消防団員や警察官も巻き込まれた。

 

 現場にいる記者からの「火砕流の映像が取りやすいポイントまで移動します」との電話に、デスクが「そんなもの撮らなくていいから、危険な場所には行くな!」と止めている当時の光景を今でも覚えている。

 

 報道陣には火砕流のリアルなイメージがなかったのだ。

 

 火砕流は数百度に達する火山性物質と火山性ガスの混合物だ。

 

 しかしカメラを通してみる火砕流は、迫力こそあるものの、たかだか煙か巨大な砂嵐のようにしか見えず、それが自分の命を一瞬にして奪う存在だとはリアルに想像できなかったのだ。

 

 東日本大震災での悲惨な映像をたくさん見たから今でこそ多くの人が「津波の恐怖」をリアルにイメージできるが、あの震災がなかったら、自分の住む地域の津波警報に対して、「津波見物に行こう」とする「とんでもない輩」も少なくなかっただろうと想像する。

 

 雲仙普賢岳の火砕流災害での一番の教訓は、「わが身を守るために最も大切なことは災害をリアルに想像できるイマジネーション」だということ。

 

 改めて今、南海トラフ巨大地震や首都直下地震の際に自分の身に降りかかるすべてを、われわれはどこまでリアルに想像できるだろうか。

 

 

 あなたにオススメの記事