歴史

防災歳時記6月16日新潟地震 団地や石油コンビナートの象徴的被災

 今から49年前、1964年の今日6月16日、新潟県粟島の南方沖40キロを震源とするM7.5の新潟地震が起きた。

 

 新潟県や山形県などで最大震度5を観測し、死者は26名。家屋の損傷はことのほか激しく、新潟地方気象台によると、全壊1960棟、半壊6640棟、浸水15,297棟を数えたという。

 

 1万5000にもおよぶ家屋浸水の主な原因は新潟県を襲った4mの津波と、この地震最大の特徴でもある大規模な「液状化現象」だ。

 

 昔から米どころとして知られるこの地方は、日本海に面した低湿地帯の越後平野が広がっており、地震後間もなく新潟市や酒田市などで地盤の液状化現象が起き、砂と水が地面から一緒に噴き出す噴砂の現象も各所で見られた。

 

 この液状化現象によって、当時の日本を震撼させたのが、新潟市川岸町で起きた4階建鉄筋コンクリートアパート群の倒壊である。

 

 高度経済成長期の頃、日本では都市部で働く会社員家族のため、郊外に多くの箱型団地が造られたが、新潟市川岸町のアパートもまさしくそのタイプ。

 

 そんな庶民の代表とも言える住まいが、液状化でユルくなった地面に沈んで、斜めに傾いたり、中には完全に横倒しになった棟もあった。

 

 鉄筋造りで建物の強度を上げても、そもそも建っている地面がお粥のようになってしまったら意味はない。

 

 倒壊の原因は、1960年改訂の建築基礎構造設計規準にあったという。当時はまだ液状化現象への警戒が甘く、十分な強度を保てなかったようだ。

 新潟地震で注目されたのは液状化現象だけではない。このときは「長周期地震動」についても象徴的な被災事例が2つ起きている。

 

 長周期地震動とは、通常の地震よりも長い周期で揺れる地震のことである。

 

 仮に、普通の地震動が「カタカタカタ」と小刻みに震えるとしたら、長周期地震動は「ユッサユッサ」と大きく揺れる。長くて大きな建造物に強いエネルギーを与え、万が一のときは被害を大きくするのである。

 

 新潟地震では、昭和石油新潟製油所(現・昭和シェル石油)の石油コンビナートがこの長周期地震動のせいで損傷、出火し、その後約2週間燃え続けるという惨事に見舞われた。

 

 また市内では、信濃川にかかる昭和大橋も無残に川の中に沈んでしまった。石油コンビナートと同様、大きな橋も長周期地震動の影響を受けやすいとされており、工事の完成直後だというのに崩れてしまったのだ。

 

 東日本大震災を機に、高層ビルなどの巨大建造物ついては、長周期地震動を想定した新耐震基準の法制化が検討されるようになった。

 

 3.11の災害を無駄にしないため。こうした法整備は望ましいことであろう。

 

 しかしそう思う一方で、なぜ新潟地震を機に液状化現象や長周期地震動に対する耐震基準などの見直しは進められなかったのか、という疑問も湧いてくる。

 

 過去の震災については、東日本大震災に限らず、まだまだ見落としているポイントはあるのではなかろうか。防災・減災については、対策を施して施しすぎるということはない。

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