歴史

防災歳時記7月19日ユナイテッド航空232便事故と日航ジャンボ機事故

 今から24年前、1989年の今日7月19日、ユナイテッド航空232便DC-10がアイオワ州のスーゲートウェイ空港に不時着して、乗員乗客296人中111人が死亡した。

 

 この事故は「111人もが犠牲になった」とも言えるが、「185人もが生還した」とも言える事故だった。

 

 事故の原因は、飛行中にエンジンのファンブレードが破断・飛散して油圧操縦系統を切断したことにより、すべての操舵が不能になったこと。

 

 普通であれば、着陸は不可能、乗客乗員全員が死亡してもおかしくなかった。

 

 しかし、奇跡とも言うべき「神の加護」があった。

 

 その便の客席には、非番の同航空の機長にしてDC-10の教官だったデニス・フィッチが偶然、乗り合わせていた。

 

 フィッチは、その4年前に起きた日航ジャンボ機の御巣鷹山の墜落事故を研究し、すべての操舵が不能に陥った場合に、エンジン推力の調整のみで操縦する方法をフライトシミュレーターを使って訓練していた。

 

 コックピットから支援要請を受けたフィッチは、その「神技」ともいえる操縦で、232便をスーゲートウェイ空港に緊急着陸させた。

 

 最後にバランスを崩し、DC-10は炎上しながら着陸するが、結果として185人の命が救われた。

 

 この事故でのもう一つの幸運は、他のクルーもすべて経験豊富だったことと、機長のアルフレッド・ヘインズが、自分より10歳以上も年下のフィッチに支援を求め、ヒューマンリソースを最大限に活用することによって冷静に事態に対処し、最善の結果に導いたこと。

 

 彼らの行動は、航空業界で「クルー・リソース・マネジメント」と言われるリスクマネジメントの代表的な例と言われている。

 

 能力に限りのある個々人のヒューマンリソースを、チームプレーにより決定的瞬間にどれだけ有効に結集できるか?

 

 「最後に人を救うのは、やはり人」という真理を、この事故は教えてくれている。

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