歴史

防災歳時記7月21日玉川上水とサクラ

 今から359年前、1654年の今日7月21日、江戸の町に水を供給するための玉川上水が完成した。

 

 江戸幕府では、1590年の徳川家康入府に先立ち、小石川上水や神田上水など比較的近場に水源を確保していたが、その後、人口が急増して(一説に最大100万人とも言われる)くると新たな水源の確保が急務となっていた。

 

 そこで水量豊富で清廉な多摩川から水を引く計画が立てられたのである。

 

 計画の責任者は、知恵伊豆と呼ばれ当時権勢をふるっていた松平信綱で、現場の工事担当者は庄右衛門、清右衛門という土木業に携わる兄弟だった。

 

 彼らは後に玉川という姓をもらい、以降、玉川兄弟として後世に名を残すことになるが、それだけの功績と認められるほど、工事は楽ではなかった。なにしろ水源の羽村取水口(現在の東京都羽村市)から大木戸(東京都新宿区)までは直線距離でも40km以上ありながら、高低差は少なく、水を自然流下で流すには厳しい環境だったのだ。

 

 おまけに武蔵野台地の地盤には関東ローム層が広がっていて水を吸収してしまうため、成功までは幾度かの紆余曲折を経なければならなかった。重機もない時代に、その労力は並大抵のことではなかっただろう。

 玉川上水は現在も一部は東京都水道局に水路として利用され、一部は公園内を流れるなど、都民の心を癒している。

 

 その川沿いには江戸時代に桜を植樹したところも多く、昔から多くの庶民たちが花見を楽しんだスポットもある。

 

 たとえば18世紀前半に享保の改革を敢行した徳川吉宗は「質素倹約」のスローガンで知られ、ともすれば面白味のない将軍と思われるかもしれないが、東京近郊に桜や桃の植樹をし、またその近辺には茶屋(現代の喫茶店)を造らせるなど、割と庶民派の政治も行なっている。

 

 彼の政治改革では新田開発も盛んに奨励された。その重労働に対するご褒美として、桜の植樹を実行したのだろう。そんな意地悪な見方もある。

 

 いつの世も政治家というのは必要以上に深読みをされるものであろう。が、その実行力が現実に人々を幸せにするものなら、誰も文句は言わない。

 

 今日は参院選。花を植樹する程度では満たされない現代の人心に対し、政治家たちはいかなるサクラを用意するのであろうか。

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