歴史

防災歳時記8月12日 日航123便墜落事故

 今から28年前、1985年(昭和60年)の今日8月12日に日本航空のボーイング747(ジャンボジェット)が墜落して、524人の乗員・乗客のうち520人が亡くなった。

 

 その夜のことは今でも記憶に焼き付いている。

 

 事故が発生したのは、午後6時56分。

 

 事故発生から約30分後の午後7時30分には、報道各社に「123便の機影が東京管制部のレーダーから消えた」との情報は伝えられていた。

 

 しかしそれからいくら経っても事故現場は確定できなかった。マスコミが分からなかったのは当然で、日航も運輸省(当時)も防衛庁(当時)、消防、警察もみな分からなかったのだから。

 

 地図で事故現場をご覧になると一目瞭然だが、墜落した場所は、群馬・長野・山梨・埼玉の各県に囲まれた山塊の中。

 場所が特定できない状態で地上から向かおうとすれば、入山する拠点とする都市は秩父市(埼玉県)、藤岡市(群馬県)、佐久市(長野県)、甲州市(山梨県)など、通常の交通ルートとしては「行き先がまったく違う場所」が選択肢になってしまうロケーションだった。

 

 実際、メディアとして最初に到着し、生存者救出のシーンをスクープしたテレビ局のクルーは、八ヶ岳に近い清里方面からという「最も遠回りなルート」を選択した結果、夜を徹して山中をさまよい、夜が明けた時に、偶然にも目の前に事故現場が広がっていたという。

 関係省庁の間でも、「長野県北相木村のぶどう峠付近に墜落した」、「埼玉県と群馬県境あたりに黒煙が見える」、「長野県南佐久郡御座山北斜面」など情報が錯綜し、最終的に墜落場所が特定できたのは、翌朝午前4時30分に航空自衛隊救難隊が目視で墜落機体を確認した時。

 

 後から分かったことだが、運輸省航空局が事故直後に「遭難機のレーダー消失地点」として伝えた緯度・経度は、実際の事故現場から2キロと離れていない所を示していたが、今のようにGPSが発達していない時代のせいか、誰も緯度経度情報を信じたものはいなかった。

 

 最終的に4人の方が救助されたが、当時の関係者の中には今でも、「前日の夜に場所が特定でき、救助を開始していれば、もっと多くの命が救われたかもしれない」と無念に思っている人も多いだろう。

 

 その後、夜間でも救助活動が行なえるようにと航空自衛隊では赤外線暗視装置などを装備したUH-60(ブラックホーク)救難ヘリを配備している。

 

 場所が特定できた後ですら、マスコミは「御巣鷹山(おすたかやま)」と事故現場を呼び続けた。

 

 本当は御巣鷹山の隣りにある「高天原山(たかまがはらやま)」の尾根だったが。

 

 だから慰霊塔が立つ事故現場は、「間違い」と分かっていながらあえて上野村の黒沢丈夫村長が命名した「御巣鷹の尾根」と今も呼ばれている。

 

 今年も、今日8月12日は御巣鷹の尾根への慰霊登山がとりおこなわれる。

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