歴史

防災歳時記8月23日大統領より世界を動かした男

 今から40年前、1973年の今日8月23日、ニクソン米大統領はヘンリー・キッシンジャー補佐官を国務長官に指名した。

 

 その5年前、キッシンジャーはハーバード大学教授からニクソン政権の国家安全保障問題担当補佐官に起用されていた。

 

 大統領補佐官から国務長官時代のキッシンジャーは、見事なまでの外交実績を積み重ねていった。

 

 ニクソン大統領の密使として秘密裡に訪中し、電撃的な米中和解を実現。

 

 さらに、中国との蜜月ぶりをテコに、第一次戦略兵器制限条約(SALT1)などソ連とのデタント(緊張緩和)政策を推進し、ベトナム戦争を集結させた。

 

 その隠密裡に動く外交スタイルは、日本で「忍者外交」などとも当時呼ばれた。

 しかし彼のもう一つの業績は、世界のリーダー米国の外交政策の決定権を国務長官から国家安全保障会議(NSC)に移したこと。

 

 日本でも安倍政権が秋の臨時国会に関連法案を提出しようとしている、あのNSCだ。

 

 米国NSCの法的な構成メンバーは、大統領、副大統領、国務長官、国防長官。

 

 それまで国家安全保障問題担当大統領補佐官はただの調整役に過ぎなかったが、キッシンジャーの時代に、外交問題の決定権を独占するNSCで絶大な影響力を持つ存在に変貌した。

 

 実際、キッシンジャーは、その電撃的な訪中を、国務省にも国務長官にも一切知らせていなかった。

 

 正式な外交ルートを使わないキッシンジャーは、ミリタリー・アタッシェ(駐在武官)やCIA支局長を手足にして、当時の周恩来首相との会談を実現させている。

 

 安倍政権は、日本を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、機動的な外交安全保障政策の立案・実行のために日本版NSCの創設を進めている。

 

 まさに「機動的な外交」のイメージは「キッシンジャー外交」のそれだが、そうした外交が戦略的に機能したのは、単に「対応能力に優れていた」からではない。

 

 キッシンジャー外交の成功は、まだ米ソ二大国の冷戦構造のさなかに、「新たなパワーとして中国が台頭してくる」と察知した、未来のパワーバランスに対する明晰な洞察力が根底にあってのこと。

 

 NSCの形だけ作っても、そこに国際社会の、「100年先」とまでは言わないが、せめて10年先を見越すことができるような人材がいなければ、「魂入らず」になる可能性もある。

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