歴史

防災歳時記8月24日ベスビオス火山と火砕流

 今から1934年前、西暦79年の今日8月24日、イタリア南部ナポリ近郊のベスビオス火山が大噴火し、翌日、ふもとの一大都市ポンペイが消失した。

 

 有名な「ポンペイ最後の日」だ。

 

 ポンペイの人口は当時約1万人。ほとんどの市民が一瞬にして火砕流に飲み込まれていった。

 

 この惨劇が歴史上重要なのは、ポンペイを救うために急行し命を落とした有名なローマの博物学者 大プリニウスが、学者として当時の状況を詳細に記した資料が残っているから。

 

 その資料には、「松の木のような形の暗い雲が山の斜面を急速に下り、海までなだれこんだ…」と記されている。

 

 それは、現在では「火砕流」と呼ばれている現象の様子を、歴史上初めて記述した資料だった。

 

 その資料には「津波」とおぼしき記述もあるが、当時のローマ人には「津波」という単語もなく、大プリニウスは、その現象を調査するために再び船で陸に戻り、有毒ガスによって命を落としたと思われる。

 温度が数百℃にも達する火砕流によって、ポンペイの市民たちは一瞬にして命を奪われた。

 

 しかし、5メートルの高さに街を埋め尽くした火砕流の成分が乾燥剤(シリカゲルのような)の役割を果たしたことで、ポンペイの街並みは驚くほど、「その時のまま」に、長い年月保存されてきた。

 

 当時のポンペイは、現代の日本で言えば、箱根か熱海のようなローマ人にとっての一大保養地。

 

 金持ちの別荘も多く立ち並び、日本の温泉場と同じように「歓楽街」も栄えていた。

 

 このフレスコ画に残された一組のカップルは、どんな人々で、どんな暮らしを送っていたのだろう?

 

 悲劇的な火砕流のおかげで、ポンペイの壁画やフレスコ画は、今も当時の色合いをほとんど失わず残されている。

 

 ポンペイの遺物に残されたその鮮烈な「赤」は、「ポンペイ・レッド」と呼ばれている。

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