歴史

防災歳時記8月27日E・ローレンス 天才を作るのは幼なじみ

 今から55年前、1958年の今日8月27日、一人の天才物理学者が57年という短い人生の幕を降ろした。

 

 アーネスト・ローレンス。

 

 最近はJ-PARCの放射線被ばく事故で有名になった「加速器」の初期モデルともいえる「サイクロトロン」の基礎理論を29歳で発表し、35歳でカリフォルニア大学バークレー校放射線研究所(現在のローレンス・バークレー国立研究所)の所長に就任した。

 

 開発したサイクロトロンにより、ウランの原子番号92より大きい、いわゆる「超ウラン元素」が次々に発見される。

 

 みんな放射性物質だが、最近おなじみの名前で言えば、「プルトニウム」など14個。

 

 103番のローレンシウム(Lr)はローレンスの名前から命名されている。

 

 その功績により、ローレンスは38歳の若さでノーベル物理学賞を受賞した。

 

 しかし、今回は「核」の話をしたいんじゃない。

 ローレンスは1901年に米国サウスダコタ州のカントンという町で生まれた。

 

 この町にはもう一人、マール・チューヴという少年が住んでいた。

 

 どちらも「科学少年」だったローレンスとチューヴは仲良くなり、一緒に無線機を作ったりして遊んでいた。

 

 このチューヴ少年も長じて、ジョンズ・ホプキンス大学応用物理学研究所の物理学者となり、「近接信管」を発明した。

 

 爆弾の先にレーダーなどを組み込み、直接対象に命中しなくても、その近くで爆発させる装置。

 

 現在のミサイルなどの兵器になくてはならない「必需品」だ。

 

 サウスダコタ・カントンの町で2人の少年が生まれ、出会った偶然。

 

 アップルの故スティーブ・ジョブスも高校生の時に、最初のApple Ⅰを作った技術者にして共同経営者スティーブ・ウォズニアックと出会っている。

 

 歴史上の天才を見ると、幼少期に、同じような素質を持つ友人と出会っていることが多い。

 

 天才を生み出すのは、学校でも両親でも、ましてや社会でもなく、「友だち」こそがその触媒になっているようにも思えてくる。

 

 残念なのは、偶然にもカントンに生まれた2人の天才少年が残したものが、奇しくも同じように「大量破壊兵器」を生み出す技術だったことだが。

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