歴史

防災歳時記8月30日 夏山シーズンが終わった後の富士山

 今から118年前、1895年(明治28年)の今日8月30日。夏山シーズンも終わりを告げる頃に富士山の山頂に木造6坪の気象観測所が作られた。

 

 作ったのは新田次郎氏の小説「芙蓉の人」で有名な、明治期の気象学車 野中到。すべては私財を投じて作られた。

 

 野中は富士山頂での越冬観測を10月1日から開始する。

 

 10月12日には、「一人では食事の支度もままならないだろうから」と妻の千代子も富士山に登り、夫婦で観測をすることになる。

 

 妻の「内助の功」も凄まじいが、科学の発展のために私財を投じて富士山頂に測候所を立てる執念も凄まじい。

 

 「明治人の気骨」としか説明しようもないが、いずれにせよ日本における「高層気象観測の歴史」は夫婦の家内制手工業で始められた。

 

 しかし、高山での厳しい環境に二人は病に冒され、わずか3ヶ月足らず、12月22日には越年観測を断念して下山する。

 

 

 断念こそしたものの、夫婦のチャレンジは世間で評判になり、翌年には早くも芝居となった。

 

 その後、中央気象台の富士山測候所ができたのは、それから37年後の1932年(昭和7年)だから、野中夫妻の試みがどれだけ大変(無謀?)なことだったか分かろう。

 

 間もなく9月2日には、富士山の夏山シーズンが終わる。

 

 山梨・静岡両県は今年から、シーズン外の富士登山を原則禁止として、登山をする場合には所轄の警察署にあらかじめ登山計画書を提出するよう求めている。

 

 今年の夏の富士山は「世界遺産ブーム」で空前の登山客ラッシュだった。

 

 「気骨ある明治人」でも挫折するほどに秋から冬にかけての富士山の気候は厳しい。

 

 ゆめゆめ「夏の間に行けなかったから」とか「まだ寒くないから」、なんて軽い気持ちでガイドラインを無視した軽装登山の暴挙に出る人がないよう、この秋は願いたい。

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