歴史

防災歳時記9月16日 トルコと日本を結んだ エルトゥールル号遭難事件

 今から123年前、1890年の今日9月16日、和歌山県の樫野崎(かしのさき)沖にてオスマン帝国海軍の蒸気船エルトゥールル号遭難事件が起きた。

 

 親善訪日使節団として6月7日に横浜港へ入港したエルトゥールル号は、皇帝からの親書を明治天皇に奉呈し、9月15日になって帰国の途についたのだが、翌16日、折からの台風にあおられて和歌山県沖で座礁し、機関部が水蒸気爆発を起こして沈没したのである。

 

 船から振り落とされた乗員たちの一部は、和歌山県樫野埼灯台のふもとに流れ着いた。彼らが地元の大島村(現在の串本町樫野)住民に救助を訴えると、村民たちは総出で救助活動や介抱にあたる。

 

 このとき大島村の村民たちは、わずかな蓄えしかなかった食料を惜しげも無く差し出し、献身的な介護にあたったという。

 

 結果、乗員656名のうち、69名が助かった。逆に死者・行方不明者は587名を数え、生存者たちも流れ着いた場所が悪ければ、被害はさらに拡大したかもしれず、この事件はオスマン帝国の人々の心に強く残ることとなる。

 

 それは後に国名がトルコに変わっても続いた。

 トルコはよく親日国家と言われる。

 

 それはエルトゥールル号の一件に留まらず、日本がその後ロシアとの戦争(日露戦争・1904年)に勝利したからとも。歴史を紐解けばトルコはロシアと幾度となく戦争を繰り返しており、いわば仇敵を倒した快挙に心を揺さぶられたのだ。

 

 戦争での勝利がこうした友好的な心情につながることは手放しでは喜べないかもしれないが、その後、日本はトルコから思わぬ救いの手を差し伸べてもらうこととなる。

 

 1985年3月17日、その頃イラクで権勢を振るっていたフセイン大統領が突如「48時間が経過したらイラン上空の航空機すべてを攻撃する」という無差別攻撃宣言を行った。民間機も攻撃対象となるということで、イランに駐在していた諸外国の人々は次々にイランから自国の飛行機で飛び立っていった。

 

 が、日本人は現地に残された。当時の自衛隊機は海外への派遣は禁じられており、また、ナショナルフラッグであった日本航空は「安全の保証がない」として臨時便を出すのを断ったのだ。

 

 事態は刻一刻と迫るばかり。いよいよ在イランの日本人は国外へ脱出できなくなりそうだという危機的状況に陥った。

 

 と、そんな彼らの前に一機の飛行機が降り立つ。トルコ航空の民間機だった。

 

 事前に、野村豊イラン駐在大使がトルコのビルレル駐在大使に窮状を訴えかけたところ、彼はかくのごとく答えたという。

 

「ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょう」

 

 この言葉通り、トルコ航空は危険を承知で臨時便の飛行機を2機飛ばし、215名の日本人はトルコ経由で無事に帰国できたのである。

 

 トルコ人の中にはこの飛行機に乗ることができず、陸路で脱出した人々が500名もいたというから(イランとは陸続きではあるが)、その配慮たるや格別のものであった。

 

 トルコとは2020年の五輪招致で争った。また最近は観光地のカッパドキアを旅行していた女子大生がナイフで刺殺される悲劇に遭うなど、心痛い事件も起きている。

 

 関係者たちの心情を察すれば何事も簡単にはいかないが、国家間で築かれる親近感ほど価値の高いものはなく、今後も手を取り助けあっていくことは両国民にとって大切なことであろう。

 

 あらためてエルトゥールル号遭難事件の被害者と、旅行中に亡くなられた女子大生のご冥福をお祈りしたい。

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