歴史

防災歳時記11月12日 新しい国家を生んだ台風

 記録的な台風30号は、フィリピンに甚大な被害を与えたが、今から43年前、1970年の今日11月12日に東パキスタンを襲った「ボーラ・サイクロン」の威力は凄まじかった。

 

 暴風雨と高潮で、少なくとも20万人以上の犠牲者が出た。

 

 そしてこのことが国の運命を変えた。

 

 国家的災害にも関わらず、パキスタン政府は災害救助活動に消極的だった。

 

 もし早期に行動を開始していれば救われたかもしれない人命が数多く失われ、東パキスタンの人々の中央政府に対する不信感は高まっていった。

 

全体的な怠慢、肥大した無関心

 

 それが東パキスタンが中央政府に抱いた感情だった。

 

 その結果、台風から1ヶ月後の選挙で野党が地滑り的勝利。

 

 中央政府と東パキスタンの摩擦は激化し、ついに独立戦争が勃発して内戦状態に。

 

 そして1年後、東パキスタンは「バングラデシュ」として独立した。

 

 バングラデシュとなった後も、サイクロンは毎年、同国を襲い、1991年には、約14万人が死亡するという大災害になっている。

 

 バングラデシュ海岸はベンガル湾の一番奥に位置し、ガンジス川などの大河川により運ばれた土砂で、遠浅の海岸が続いている。

 そこにサイクロンの強風により海水が吹き寄せられることによって、津波のように巨大な高潮が作られる。

 

 1991年のサイクロンの時は、7メートルという高潮が押し寄せ、多くの人命を奪った。

 

 しかし2000年以降は、1970年や1991年と同規模のサイクロンが襲っても死亡者の数は、せいぜい数百人規模にまで減っている。

 

 その大きな理由は、1991年のサイクロンの後に、世界各国の援助によって、高床式の「サイクロンシェルター」なる建物が約2000個も建設され、避難場所として機能しているから。

 

 しかしそれでもなお、この国はいまだ多くの人の命が自然災害によって奪われている。

 

 「津波のように巨大な高潮が…」と書いたが、本当にこの国の人々の多くは、地震による津波と台風による高潮の区別もついていないほどに、気象学は発達していない。

 

 国民の識字率は30%未満。

 

 レーダーや気象衛星の受信装置を世界各国が提供しても、それを運用・解析して人々の防災に役立てる人材が圧倒的に少ないのだ。

 

 この国を自然災害から守るために最も必要なことは、「教育と人材」だと考えられている。

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