歴史

防災歳時記12月3日 心臓移植をめぐる戦慄の歴史

 今から46年前、1967年の今日12月3日、南アフリカの首都ケープタウンで、世界初の『心臓移植手術』が行なわれた。

 

 執刀医は、クリスチャン・バーナード

 

 ケープタウン大学医学部を卒業、当時心臓外科の最先端だった米ミネソタ州立大学へも留学した、心臓外科の若き俊英だった。

 

 ドナーは交通事故で脳死状態になった24歳の女性、移植を受けたのは55歳の男性だったが、この男性は、手術から18日目に肺炎で死亡した。

 

 そんなバーナード医師がまだ30代半ば、ミネソタ州立大学に留学していた時に、同い年の日本人医師と知り合う。

 

 その医師の名前は、和田寿郎

 

 帰国した和田医師は、36歳の若さで札幌医科大学の初代胸部外科教授に就任、そして日本で初の心臓移植手術を行なったのは、バーナードの心臓移植手術から、わずか9ヶ月後のことだった。

 ドナーは、海水浴場で溺れた21歳の男子大学生、レシピエント(移植患者)は18歳の男子高校生。

 

 手術は成功し、レシピエントはいったんは元気な姿を見せた。

 

 和田教授は、マスコミに「医学界の風雲児」ともてはやされたが、手術から83日目にレシピエントが死亡すると、世論はガラッと変わった。

 

 和田教授は、レシピエントの死因について、急性呼吸不全として、「偶発的な事故」を匂わせたが、次から次へ恐ろしい疑惑が噴出する。

 

 その疑惑とは、大きく言えば、(1)ドナーは脳死状態に至ってなかったのではないか?(2)レシピエントは心臓移植しか治療方法がなかったほど重症だったのか?の2つ。

 

 つまり、言わんとしていることは、和田教授が「心臓移植手術をしたかったがため」に無理やり手術してしまったのではないか?との疑惑だ。

 

 少なくとも(2)の疑問については、レシピエントの「元の心臓」を見れば分かる可能性が高いが、突然この心臓が病院内で行方不明になるという事件が発生する。

 

 しばらくして心臓は発見されたが、まるで証拠を隠滅するかのように、心臓の3つの弁はくりぬかれた状態だった。

 

 和田教授は「殺人罪」で告発されるが、結局、証拠不十分で不起訴となる。

 事件の真相は「闇の中」のまま捜査は終了となった。

 

 この後、国内で心臓移植手術が行なわれたのは、それから31年後の1999年。

 

 少なくともこの事件によって、日本における心臓移植手術が世界と比べて大きく遅れを取ったことは間違いない。

 

 現在の国内における心臓移植手術の5年生存率は94.1%、10年生存率でも90%以上に達する。

 

 他の臓器も、5年生存率が肺で72.4%、肝臓で80.9%、腎臓で90.9%など、免疫抑制剤の進歩などもあり、臓器移植の生存率は、かつてより大幅に向上している。

 

 しかし一方で、日本の場合、「脳死判定による臓器移植」が根付くのにはまだ大きなハードルがあるようだ。

 

 3年前に、運転免許証や保険証などに臓器移植の本人意思を記載できるように法改正がなされたが、厚生労働省が今年10月に発表した報告によると、この3年間に本人意思による脳死判定がなされたのは、わずか34人

 

 一方で、今年9月末現在で、国内の臓器移植希望者は、心臓が271人、最も多い腎臓では、実に1万2316人ものぼっている。

 

 クリスチャン・バーナードが世界初の心臓移植手術を行なってから、すでに46年。

 

 これが、わが国の移植手術をめぐる状況だ。

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