歴史

防災歳時記12月7日 東南海地震と情報統制

 もし南海トラフ巨大地震が起きた場合、どれほどの被害になるか?

 

 政府の中央防災会議によって発表されたデータによると、最悪のケースで死者約32万人、経済損失は約220兆円に達するという。

 

 そしてこの巨大地震は、地震調査委員会によると、今後30年以内に発生する確率が60~70%と、極めて高い数値に設定されている。南海トラフ地域での巨大地震は、これまで約100~150年という一定の周期で発生しており、前回の大地震から換算すると30年以内に発生する確率が高いと目されているためだ。

 

 では、来るべき事態に備えて、我々は一体どうすればよいのか。過去の地震では、どんな被害が起きていたのか。

 

 今から69年前、1944年の今日12月7日、同震源域においてM7.9の東南海地震が発生した。

 

 1944年12月7日、午後1時36分。紀伊半島東部の熊野灘から遠州灘にかけての震源域でM7.9の地震が発生し、日本列島は中部地方を中心に大きな揺れに見舞われた。

 

 静岡県御前崎市や三重県津市、愛知県南知多町などで最大震度6を観測。震度5の地域は福井県福井市や山梨県甲府市、愛知県名古屋市、奈良県奈良市など広範囲に渡り、関東の群馬県前橋市や東京都千代田区でも震度4を観測している。

 

 しかし、実際は「地震計を振り切っていて観測できなかった」という報告もあり、震度7に達していたのではないかという見方もある。

 

 そんな曖昧な記録となっているのは、当時が太平洋戦争の終盤へとさしかかる時期であり、それでなくとも国内は混乱の最中であったためだ。

 

 地震調査委員会の記録によると、死者は愛知や静岡、三重、岐阜を中心に998名(1223名という説も)に達し、全壊した家屋は約2万6000棟。最大で10メートルにも達した津波で約3000棟の住居が流失した。

 

 この中京地域は、三菱重工や中島飛行機を筆頭に軍需産業も活発だったが、地震により工場3012棟が全半壊し(参考:毎日新聞)、軍用機の生産に多大な影響を及ぼしたという。

 

 太平洋戦争の終盤、連合国に追い込まれつつあった日本にとっては、これ以上無く最悪の事態であっただろう。

 

 M7.9という東南海地震が及ぼした被害は、阪神大震災や東日本大震災を経験した現在の日本人ならば、まだ想像しやすく、今後の防災・減災のための対応はとりやすい。

 実際、政府が予想する南海トラフ巨大地震の人的・経済的被害に対しても、各自治体の努力によって、その被害を減らす修正値が出されている。

 

 そして1944年の東南海地震でもう一つ我々が忘れてならないのは、当時の政府によって敷かれた情報統制であろう。

 

 前述の通り、中京地域は軍事産業の中心地であったため、そこが被害を受けたことを日本中に発表するのを内務省が是とせず、翌日の新聞では文字だけの小さなベタ記事扱いだったそうだ。

 

 平時ならば、被災地からの報道は大々的に流され、国を挙げての救済活動が実施されていたに違いない。そして、地震の二次災害からの生存者が増えた可能性も否めないはず…。

 

 むろん現代の我々が考えるべきは、将来の戦時中における情報統制や災害対策ではない。もっと根本的な問題、戦争が二度と起きないように、そして震災時にはお互いが全力で助け合えるような社会を継続することだ。

 

 東南海地震とは、こうしたごく当たり前のことを再認識する災害であると教訓にするのも決して悪くはないだろう。

 

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