歴史

防災歳時記12月28日 三陸はるか沖地震から考える「災害への記憶」

 今から19年前、1994年の今日12月28日、青森県八戸市の東方沖180kmを震源とする、M7.6の三陸はるか沖地震が発生した。

 

 震源から近い青森県八戸市では震度6を記録し、同県むつ市や岩手県盛岡市でも震度5のほか、北海道から名古屋まで広範囲に揺れは伝わり、死者3名・負傷者784名など多数の被害が出た。

 

 中でも印象的だったのは、建物の1階が丸ごと潰れた八戸市内のパチンコ屋で、死者3名のうち2名はここで亡くなっている。

 

 他にも、校内の壁が大きく歪んでしまった八戸東高校や、雪化粧の下で陥没してしまった道路、石油コンビナートでの液状化現象など。多くの建築物が倒壊する大きな揺れだったが、もしかしたらこの地震を記憶されている方は少ないかもしれない。

 

 気象庁が名づけた地震名に「三陸」という文字が入ってはいるものの、同じく三陸沖を震源とした東日本大震災ほどの被害はなく、津波も最大55センチで収束。

 

 年が明けて1995年1月7日には岩手県沖でM7.2という巨大な余震も発生していたが、こちらの最大震度は5で津波も観測されなかった。

 

 そして三陸はるか沖地震からわずか20日後の1995年1月17日のことである。日本人、特に関西地方の人ならば一生忘れられないであろう、阪神淡路大震災が発生した。

 

 言わずもがな、阪神淡路大震災は関西に大惨事をもたらした、我が国の地震史に残る巨大災害である。

 

 兵庫県を中心に死者・行方不明者6437名、負傷者4万3792名を数え、今でもあの恐怖を忘れられない方は多いだろう。

 

 一方、ほぼ青森県内で被害の収まった三陸はるか沖地震は、同県のHPでその危険性が語られているものの、全国規模で覚えておられる方は少ないはず。仮に当時覚えていた人も、その後の阪神淡路大震災によって、印象が薄れてしまった可能性もあるだろう。

 

 地震そのものの規模・危険性を考えれば両地震に大差はないのに、実害の大小だけで災害の印象は変わってしまう。

 

 それが人心の自然なあり方なのかもしれないが、東日本大震災をキッカケに大変動期(地震活動が活発になる)を懸念されている日本列島では、まるで関係ないと思しき遠方の揺れも、何らかの影響が近隣地域で発生する危険性は否定できない。

 

 三陸沖の地震の数日後に、西日本で同規模の揺れが――。このとき、普段より少しだけでも気を引き締めておくことができれば、結果的に被害縮小へつなげることもできるはず。

 

 災害への記憶とは、すなわち防災・減災効果を高める有効な一手となりうるのか、それとも被害の大小を比べて終わるのか。

 

 今は、国や自治体だけでなく、個人にも覚悟が求められる時代であろう。

 

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