歴史

防災歳時記1月2日 参賀の日に起こった悲劇 二重橋事件

   初詣、初売り、福袋。


   とかく人が集まる新年の幕開け。


   「人混みにもまれるのもまた一興」と楽しめる程度ならいいが、今から60年前の1954(昭和29)年の今日1月2日、皇居前はしゃれにならないほどの人出でごった返していた。


   1月2日は皇居一般参賀の日。晴天にも恵まれ、午後1時すぎから皇居前の記帳所はもとより、その奥にある奥の橋、宮内庁の庁舎前まで人、人、人の大混雑。実に38万人もの人出があったという。


   ところが、これに対し、警備のために出動していた警察官は皇宮警察と警視庁丸の内署の221人だけ。当時はまだ「雑踏警備」の重要性が認識されていなかったのだ。人波であふれる皇居前では、次第に押し合いへし合いの怒声や悲鳴があがり始めていた。

   そして、ついに、午後2時15分。警察官が列を進めるために群衆整理用のロープをあげたところ、二重橋の石橋に人が殺到。群衆の中にいた老婆が転んだことをきっかけに、50人以上が将棋倒しになった。


   警察はあわてて救急車を要請し、人工呼吸などの応急処置を施したが、折り重なった人垣の下敷きになり、16人もの人が死亡。65人が重軽傷を負い、新年を祝う場はけが人のうめき声、逃げ惑う人々の叫び声が響く阿鼻叫喚の場に一変してしまった。


   この「二重橋事件」後、皇宮警察と警視庁は警備に甘さがあったとして、被害者を慰問し、責任者9人を処分。天皇・皇后からも被害者に対し、花や果物など見舞いの品が贈られたという。


   事件をきっかけに、警察は雑踏警備を見直すようになったが、残念ながらその対策はすぐには徹底されず、2年後の1956年元日にも新潟県西蒲原郡弥彦村の弥彦神社で、餅まきに夢中になった初詣客が将棋倒しになる事故が起きた。


   当時の境内に照明設備が整っていなかったことに加え、3万人の初詣客に対して警備の警察官がたった16人しかおらず、そのほとんどが駐車場の交通整理に割り振られていたことが事態の悪化に拍車をかけ、死者124人という大惨事となったのだ。


   近年でも、2001年7月に兵庫県明石市の花火大会で、歩道橋に見物客が殺到し、子供9人を含む11人が犠牲になった事故は記憶に新しいだろう。


   多くの場合、楽しみや祝い事を求めて、人は特定の場所に集まる。2014年の正月も、日本各地で新年への期待に胸を膨らませ、寺や神社やさまざまな場所がにぎわっているだろう。

 

   そこが喜びの声で満たされたままでありますように、と願わずにはいられない。

 あなたにオススメの記事