歴史

防災歳時記1月4日 未踏峰の「神々の山」に消えた日中合同登山隊

   中国南西部にそびえる6000メートル級の連峰「梅里雪山(メイリーシュエシャン)」


   チベット仏教の聖地であり、古くから信仰を集めてきた「神々の山」で、今から23年前の1991年の今日1月4日、日中合同登山隊17人が雪の中に消息を絶った。


   京都大学学士山岳会、中国登山協会、雲南省体育運動委員会による合同登山隊は、梅里雪山の最高峰カワカブ(6740メートル)を目指し、1990年12月初旬にベースキャンプを建設。


   順調にキャンプ地を上部に移し、12月末には山頂まで270メートルの地点に達した。隊員たちは標高5100メートル付近の第3キャンプに集合。頂上アタックは目前だった。


   ところが、年が明けた1月1日から雪が降り始め、隊は足止めをくらう。3日夜には降雪1.2メートルに達し、この日の午後10時の無線交信を最後に、隊との連絡は途絶えた。

   急きょ救助隊が現地に向かったが、折からの悪天候で第3キャンプに近づくことすらできない。航空機を飛ばしてみると、第3キャンプのあった場所は、大量の雪に覆い尽くされていることがわかった。


   第3キャンプは斜面から充分に離れていたため危険はないはずだったが、3日までの予想を超える大雪で、時速200キロ以上で雪煙が流下する「泡雪崩」が起きたらしかった。

 


   そして、隊員17人は、誰も帰らなかった。

 


   日中合同登山隊はその後、1996年になってようやく第3キャンプのあった場所に到達。そこは真っ白な雪原が広がるばかりで、人工物は何一つとしてなかったという。


   隊員の遺体が見つかるまでには、さらに2年の月日を要した。1998年になって、第3キャンプの下流、標高3700メートル付近の氷原で、6人の遺体が発見されたのだ。


   遺体は第3キャンプから実に水平距離で4000メートル、高度差1400メートルを7年半かけて氷河と共に流れ下っていた。遺体の多くは寝袋に入ったままで、就寝中に雪崩に巻き込まれたことも明らかになった。


   その後も、隊員の遺体は毎年のように発見された。年を経るごとに下流で、さらに下流で。だが、なお1人の行方がわからず、捜索は続いているという。


   その詳細は、隊員と同じ京大山岳部で、遭難によって友人を亡くした小林尚礼さんが『梅里雪山 十七人の友を探して』(山と渓谷社)にまとめている。

 

   年間を通して白い雪に覆われ、今も変わらず厳然とそびえるカワカブの頂。カワカブを含む梅里雪山の7座の峰は、今もまだ人の侵入を許さず、未踏峰のままである。

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