歴史

防災歳時記1月6日 平安神宮放火事件と爆弾テロ

   今から38年前、1976年の今日1月6日、未明の京都の街にけたたましく消防サイレンが鳴り響いた。京都市左京区にある平安神宮に火の手があがったのだ。


   京都市消防局は最高レベルの「全出動」を発令。市内各署から消防車が駆けつけたが、火はすでに内拝殿や本殿に燃え移っており、9棟が焼失。外拝殿への延焼を食い止めるのがやっとだった。


   平安神宮は1895(明治28)年に「平安建都1100年記念事業」として創建され、文化財に指定されておらず、当時の消防法では火災報知器の設置も義務付けられていなかった。このため発見が遅れ、大火事となってしまった。


   ところが、年明け早々のこの火事は、これだけでは”火”が消えなかった。


   まず”飛び火”したのは、平安神宮の近くにあった京都会館と京都市美術館。「犯人」を名乗る男から電話がかかってきたのである。

   平安神宮に祀られている桓武天皇は「民百姓に塗炭の苦しみを与えるような平安京を造営し、蝦夷も侵略した」として、放火を決意したと放言したこの男は、新左翼活動家の加藤三郎。


   加藤は「桓武天皇を祀ることは神への冒涜」と鼻息荒く、正月三が日の初詣客にまぎれて平安神宮の事前偵察もしていたが、結果的に「犯行声明」の電話は大して報道もされず、話題にならなかった。


   そこで、加藤は2月11日、「世界赤軍日本人部隊・闇の土蜘蛛」名義の犯行声明文を新聞社に郵送。今度こそ、と闘争の気炎を吐く気満々…だったかどうかはわからないが、結局この声明文も公表されることはなかった。


   新聞社からすれば、イタズラにしか思えなくても無理はない。しかし、加藤はこれを「黙殺を図る陰謀」だと受け取り、「次は無視できない事件を」と間違った方向に意欲を燃やしていくことになる。


   その結果、引き起こされたのが、翌1977年、梨木神社、東急観光、東京大学法文1号館、三井アルミ社長宅、神社本庁ビル、東本願寺と立て続けに起こった「爆弾テロ事件」だ。


   平安神宮への放火で勝手に導火線に火がついた加藤の「闘争」は1978年、潜伏先のアパートで汚物を飛び散らせる「黄金爆弾」を誤爆させるまで続いた。


   爆発の威力は小さく軽傷ですんだが、汚物まみれになったことで心が折れたのか、加藤はこの後、爆弾製造をやめて逃亡生活に入り、いつの間にかインドの神秘家ラジニーシなる人物に弟子入りまでしてしまう。


   1983年に逮捕された時、加藤はラジニーシのペンダントを身につけ、「修行僧」のようないでたちだったとか……。


   加藤は懲役18年の刑に服し、2002年に釈放された。今では故郷の岐阜に戻り、自給自足の生活をしていると言われている。

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