歴史

防災歳時記12月30日 平成最大の未解決 世田谷一家殺害事件

 年の瀬も迫ってくると、毎年のようにテレビで流される昭和・平成の未解決事件。

 

 強盗や殺人、放火など。数多の凶悪事件犯人が野放しにされているという現実に、我々は恐怖を覚えるばかりだが、その中でも特に異彩を放っているのが、今から13年前、2000年の今日12月30日に起きた「世田谷一家殺害事件」であろう。

 

 世田谷という閑静な高級住宅街で、年末の夜に一体何が起きたのか。

 

 犯人の異常性とあいまって、その詳細に迫れば迫るほど、背筋がぞっとする光景がアタマに浮かんでくる。

 

 世田谷一家殺害事件が起きた推定時刻は、2000年12月30日の午後11時頃。

 

 被害者宅の2階から侵入した犯人が父親(44才)、母親(41才)、長女(8才)、長男(6才)を包丁で刺殺した後、インターネットを閲覧しており、その履歴時間などから犯行時刻が推定された。

 

 我々の心胆を寒からしめるのが、こうした犯人の異常行動である。

 

 もとより常人には理解できない人物ではあろうが、この犯人は一家4人を惨殺した後に、大学の研究室や科学技術庁など専門性の高いサイトを訪問し、劇団四季の舞台チケットまで予約しようとした痕跡が残っていたという。

 

 この行動は本心からのものなのか。あるいは捜査撹乱やカムフラージュのためなのか。

 

 犯人はその合間にも、ガムを噛みながら冷蔵庫を物色し、中にあったお茶やメロン、アイスクリームを食すという、大胆極まりない振る舞いに出ている。

 

 そして、翌朝10時頃まで、4人の遺体が横たわる被害者宅に留まり、ネットをしていたというのだから、やはりある種の異常者なのであろう。

 

 逃走後、自宅からは現金も奪われていた。が、それは100万や200万単位の大金ではなく、わずか15万円。金が目的でないことは、はた目にも明白であった。

 

 年末の一家団欒を恐怖のどん底に突き落とす、残虐極まりない殺人事件。当然ながら、その犯人像や動機、逃走経路についての捜査は大々的に行われ、幾度となく報道もされてきた。

 

 現場に残されたトレーナー(きちんと畳まれていた)やヒップバッグ、香水、凶器の包丁、数多の目撃情報など。犯人逮捕につながりそうな痕跡は多々あるのに、結局は謎ということに落ち着いてしまう。

 

 未解決事件なのだから当たり前なのだが、なまじその行動や犯人像が浮かび上がってくるだけに、逮捕されてないという事実が心に重くのしかかる。これは決して異次元の世界で起きた、他人事ではないハズだ。

 

 世田谷で起きたのだから、今も都内のどこかに、あるいは全国のどこにいたって不思議ではない。犯人の似顔絵すら出回ってないのであるから、警察の目も気にせず自由に暮らし、もしかしたら当サイトを眺めている可能性だってゼロではないだろう。

 

 あるいはコンビニでレジ待ちしているとき、背後にソッと寄ってきたその人が…。

 

 ちなみに、長年、未解決事件の一つとして注目されていたオウム真理教の逃亡犯・平田信が警視庁に出頭したのは2011年の年末、12月31日のことだった。

 

 逮捕後、平田は約17年に及んだ逃亡生活について、「震災で『おれ、何をやっているんだろう』と自分の逃亡生活が情けなくなった」と語ったという。

 

 平田みたいな犯人は例外中の例外。数多の未解決事件犯人は、今も世にはびこっている。

 

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