歴史

防災歳時記2月8日 ホテル火災と経営再建とスプリンクラー

 今から32年前、1982年(昭和57年)の今日2月8日の未明、国会議事堂越しに赤坂方面の空には赤々とした火柱が地獄の光景のように立ち上っていた。

 

 

 ホテルニュージャパン火災

 

 

 9階の英国人宿泊客の「寝タバコ」から起きたその炎は、瞬く間に建物の9階と10階を包み、死者33人、負傷者34人という昭和における「最悪のホテル火災」となった。

 

 煙から逃れるために窓から飛び降りて命を落とす人も出るなど、まさに「地獄絵図」、火は午後0時半ごろまで、9時間にわたって燃え続けた。

 

 ホテルニュージャパンは、1960年代初頭、東京オリンピックでの観光客増を見越して、ホテルニューオータニなどの高級ホテルが作られた時代に建設された。

 

 しかし東京オリンピック後は、高級ホテルの競争の中で衰退していく。

 

 そして1979年、「昭和の買収王」横井英樹が登場する。

 

 彼は、「古びたホテル」だった「ホテルニュージャパン」を見事な経営手腕で再建する。

 その再建方法とは、「徹底的に安全性を犠牲にして経営合理化を図る」。

 

 防災設備コストを削って浮いたカネは、豪華なシャンデリアや荘重なインテリアに当てられた。

 

 東京消防庁は再三、スプリンクラーの設置を求めるが、頑として聞かない。

 

 挙げ句の果ては、「設置した」と偽り、ダミーのスプリンクラーを付けていた。

 

 よくダミーの監視カメラは聞くが、ダミーのスプリンクラーは…。

 

 火災当日、詰めかけた報道陣に、メガホンで「本日は早朝よりお集まりいただきありがとうございます」と言ったり、宿泊客より先に、高級家具を運び出させようとしたり、あげくには消防隊長に「口止め料」として賄賂を渡そうとしたり…。

 

 「人間として大切な何かが壊れた人」という印象だった。

 ホテルニュージャパン火災を振り返る時、我々は何を考えなければいけないのか?

 

 横井英樹を「おかしな人」で片付けるのは簡単だ。

 

 しかし一方で、彼が見事に経営再建を成し遂げたことも事実。

 

 そして「災害への備え」、つまり「安全」にはカネがかかるのも事実。

 

 東日本大震災以降、耐震基準をクリアするためには、莫大な改築費用がかかることから「廃業」を余儀なくされている老舗旅館も多い。

 

 昨年10月、福岡県の診療所で高齢者10人が死亡した火災を受けて総務省消防庁が、全国の入院設備がある診療所7744棟について調査したところ、スプリンクラーが設置されているのは416カ所。

 

 実に94.6%の診療所ではスプリンクラーが設置されていなかった。

 

 もちろん法律で義務づけられている規模の診療所ばかりではなく小さい診療所だってある。

 

 だが、そんな診療所だって、イザという時に身動きのとれない入院患者がいるかもしれないと思えば、スプリンクラーがないよりは、あった方が安全だ。

 

「安全とコスト」

 

 他者を批判するのはたやすいが、実際にはそう簡単に解決できない問題だ。

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