歴史

防災歳時記1月26日 黒こげになった国宝・法隆寺の壁画

 1月26日は「文化財防火デー」だ。


 文化財を災害から守る意識を高めようと、毎年各地の寺社などで防火訓練を行なっている。


 この取り組みが始まったのは、今から65年前の手痛い失敗がきっかけだ。


 1949(昭和24)年の今日1月26日、1400年の歴史を持つ国宝・法隆寺(奈良県斑鳩町)の金堂で火災が起き、貴重な壁画を焼損したのである。

 日本において文化財の本格的な調査や保護が始まったのは明治時代からだが、法隆寺の金堂壁画はその初期からすでに芸術的価値が認識され、壁画の剥落などの劣化をどうやって食い止めるか検討されていた。


 1940(昭和15)年からは当時の一流の画家たちが集まり、壁画の現状を記録しようと、複写プロジェクトがスタート。この作業は第二次世界大戦でいったん中断したものの、終戦まぎわの1945年には美術品や建造物の部材を戦火から守るため、金堂の解体作業が行われている。


 しかし、皮肉なことに、火災は戦後再開されたこのプロジェクトのさなかに起こった。


 1月26日午前7時20分頃、金堂から出火。午前9時前後に鎮火するまで、壁画は「蒸し焼き」状態になり、内陣の外側にある外陣(げじん)の土壁に描かれていた12面が黒焦げに。外陣小壁の山中羅漢図18面は跡形もなく粉砕された。


 解体作業によって取り外されていた天井より上の上層部分や、よそに移されていた釈迦三尊像などの仏像が難を逃れたのは不幸中の幸いかもしれない。


 だが、朱や群青、黄土など鮮やかに彩色され、日本のみならずアジアの古代仏教壁画の代表作の一つとされた「至宝の壁画」は永遠に失われてしまったのである。今では、火災前に撮影された写真などによって、在りし日の姿をしのぶのみだ。


 火災の原因は、模写作業の担当画家が使っていた電気座布団からの出火とされているが、模写に使った蛍光灯用の電熱器が火元という説、放火説などもある。


 国はこの事件をきっかけに文化財の保護に本腰を入れて乗り出し、1950(昭和25)年には議員立法で「文化財保護法」が制定された。


 悠久の時の流れを生き抜いてきた文化財を自分たちの代で失うことのないように――。考古ファンならずとも、先人の残した「遺産」には敬意を払いたいと思う。

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