歴史

防災歳時記2月2日 「恥ずかしながら…」元日本兵28年ぶりの帰還

   戦後30年近くフィリピンの密林に潜伏し続け、「最後の日本兵」と呼ばれた小野田寛郎(ひろお)さんが1月16日に亡くなった。91歳だった。


   小野田さんが帰国したのは1974(昭和49)年。当時、日本は高度経済成長を遂げ、軍服・軍帽姿の小野田さんは人々に衝撃をもって迎えられた。


   だが、その2年前にも、ある残留日本兵が28年ぶりの帰国を果たしている。グアム島で一人、潜伏生活を続けていた横井庄一さんだ。


   今から42年前、1972年の今日2月2日、羽田空港に降り立った横井さんは開口一番、「恥ずかしいけれど、帰って参りました」と発言。この言葉をとらえた「恥ずかしながら帰って参りました」はその年の流行語になった。

   横井さんがグアム島に派遣されたのは、28歳だった1944年のこと。陸軍歩兵連隊の軍曹としてグアム島の防衛に従事し、同年8月に「戦死した」として戦死公報が出されている。


   が、横井さんは激化する戦火をくぐり抜け、生きていた。翌年ポツダム宣言が受諾され、日本は無条件降伏したものの、当時、島に残っていた日本兵には知らされなかったため、横井さんは終戦も知らず、ジャングルでウサギやカエルを食べながら潜伏生活を続けた。


   横井さんがようやく発見されたのは1972年。ウナギやエビを獲るための仕掛けをしに川に降りたところ、現地の行方不明者を捜している村人たちと遭遇したという。


   日本に戻った時、横井さんは57歳になっていた。生涯「庄一はまだ生きとる」と言い続けた母つるさんは帰国の14年前に亡くなっており、横井さんは「親孝行の真似事すらできなかった」と涙を流したそうだ。


   横井さんも、小野田さんも、軍事教育を頭に叩き込まれ、頑なに「任務」を全うしようと長い長いジャングル生活を生き延びた。帰国してみれば、日本はすでに「もはや戦後ではない」(昭和31年経済白書)と宣言し、カラーテレビや自動車、クーラーが「3C」ともてはやされている時代。そのギャップの大きさはいかばかりだったか。


   ブラジルに移住した小野田さんと対照的に、横井さんは郷里の愛知に戻って結婚し、自身のサバイバル生活を語る講演活動を全国で行なった。マスコミの注目の的となり、1974年の参院選にも無所属で出馬したほどだ(結果は落選だった)。


   一見すんなりと新しい生活に溶け込めたようにも見えるが、その胸中はどんなものだったのだろう。横井さんはマスコミの騒ぎもおさまると、自宅に窯を開き、陶芸をしたり、手記を出版したりして余生を過ごした。


   そして1997年9月22日、横井さんは心臓発作を起こし、この世を去る。82歳だった。

 あなたにオススメの記事