歴史

防災歳時記3月5日 ミス・コンテストの日と軍神の後悔

 今日3月5日は「ミス・コンテストの日」。

 

 今から107年前の今日、時事新報社が「日本美人写真募集」と銘打って、事実上「ミス日本」を決める国内初の「ミスコン」を行なったことが由来だ。

 

 これは米紙「シカゴ・トリビューン」の企画「ミスワールドコンテスト」の日本予選として開催されたものだが、賞金総額3000円、写真応募のみだが、何と7000人もの応募があった。

 

 彫刻家の高村光雲ら、当時の「美の目利き」たちが最終審査に臨んだが、優勝したのは学習院女学部3年生の末松ヒロ子(16)。

 

 福岡県小倉市長の娘で、舞踊、茶道、華道はもちろん琴やピアノもたしなむ、正真正銘の「お嬢様」。

 

 ヒロ子は、職業カメラマンだった義兄の東京の家に下宿していたが、義兄が自分の写真の腕を披露したく、本人に内緒で応募したものだった。

 

 

 「兄様が新聞社から写真を取り戻して下さい」

 

 

 本人は泣きじゃくったが、後の祭り。新聞に掲載されると一躍「アイドル」に。実家には数百にのぼる縁談の申し込みが殺到した。

 時の学習院長は、日露戦争の203高地で有名な軍神乃木希典大将。

 

 明治天皇崩御の際に、共に自刃し「乃木神社」に祀られるほどの謹厳実直な軍人だ。

 

 

「女は虚栄心の盛んなるもの。…本人が虚栄心に駆られて自ら応募せしならば、他の生徒等の取り締まりの上、停学もしくは諭旨退学の処分をなさん」

 

 

 結局、ヒロ子は諭旨退学処分となり、本人は唯々諾々と従ったが、これが大論争に。

 

 そして新聞社からの抗議で、乃木は初めて、ヒロ子が自分で応募したのではないと知る。

 

 事の次第が分からなかったのは、話が大きくなってしまい、「今さら本当のことを言ったら兄様に傷がつく」とヒロ子が慮って口を閉ざしたことが原因。

 

 

「あちゃ〜。自分の身を顧みず義兄をかばった忠義者を退学にしちまった…」

 

 

 と言ったかどうかは知らないが、ともかく軍神は、退学処分にしたことを激しく後悔した。

 ここからが明治時代なのだが、後悔した乃木大将が悩んだ末の結論は、「罪滅ぼしには、ヒロ子に良い縁談を探すのが一番」。

 

 ということで、「堅物の鏡」のような陸軍大将が縁談探しを始めるが、そっち方面にはからっきし疎い。

 

 困り果てていると、日露戦争の戦友で先輩の陸軍元帥 野津道貫がやってきて、助け舟を出した。

 

 

「たいそうな美人の縁談があるそうだが、息子ではどうか?」

 

 

 野津大将の長男 鎮之助は、侯爵になったばかり。将来は貴族院議員の道が約束されている。

 

 明治時代としては、「最高クラスの良縁」だ。

 

 いつも怖い顔をしている乃木大将も、ヒロ子の結婚式の時だけはご機嫌だったそうな。

 

 107年後の今年、ミス日本グランプリは聖心女子大の3年生。応募総数は2533人。

 

 グランプリに輝いた沼田萌花さん(21)の趣味は写経。「将来はフランスで書道を教えて、日本文化の素晴らしさを伝えたい」と語っている。

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