歴史
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防災歳時記3月7日 北丹後地震と食い逃げと食の偽装

 今から87年前、1927年(昭和2年)の今日3月7日、M7.3の北丹後地震が発生した。

 

 震源地は京都府丹後半島北部だが、近畿地方一円のみならず、中国・四国地方にまで及び、死者3000人弱、全壊約1万3000棟の大被害を生む。

 

 最も被害が大きかったのは「丹後ちりめん」や「天女の羽衣伝説」で有名な京都府峰山町(現京丹後市)で、家屋の97%が焼失した。

 

 また「灘の生一本」、酒どころで知られる神戸市御影あたりでは、醸造中の酒が大量に流出し、「酒の川」ができたそうだ。

 

 そして大阪では、なんと「大量食い逃げ事件」が発生した。

 

 地震の起きた時間は午後6時27分、まさに夕食時だった。

 

 そんな大地震が起きたのだから逃げるのが当たり前、「食い逃げ」と責めるのもかわいそうだが、大阪梅田の阪急百貨店では、食堂での代金未収が60円35銭にのぼった。

 

 当時のメニューが平均30銭として、実に約200人が地震のどさくさに紛れて食い逃げした計算になる。

 今ではだいぶ減ってしまった「デパートの食堂」だが、実は最初にこの「デパート食堂」を作ったのが阪急百貨店だった。

 

 というか、そもそも老舗呉服系百貨店「白木屋」を梅田に誘致して、梅田出張所を開店したときに、2階に阪急直営の阪急食堂を開いたのが始まり。

 

 だから阪急百貨店にとって「デパート食堂」は「おまけ」ではなく、まさに「本業」だった。

 

 そして、この北丹後地震での「大量食い逃げ」を教訓に、地震から3年後の1930年(昭和5年)に阪急百貨店梅田本店は、日本初の「食券制」を導入する。

 

 今でいえば「メイド服」に身を包んだウェイトレスが、慣れた仕草で、片手で食券をちぎり、オーダーを受ける、妙に懐かしい「昭和の時代のデパート食堂」の風景。

 

 20世紀少年たちにとって、デパートの思い出と言えば、屋上にある小さい遊園地とデパート食堂で食べるソフトクリームの味…。

 

 そんな懐かしい「昭和の原風景」は、実は「北丹後地震による大阪の食い逃げ」によって生み出されたものだったのだ。

 阪急百貨店の創業者小林一三は、デパート食堂を大事にしていた。

 

 食券制が採用されたころは、「昭和恐慌」の時代。人気のメニューに「ソーライス」というものがあった。

 

 ライスのみを注文して、テーブルに置かれたウスターソースをかけて食べる、という極めて貧しい食べ物。

 

 他の店は、「ライスのみ」という客を嫌い、こうした客をNGとしていた。

 

 しかし小林は、こう思った。

 

 

「今は貧しいが、やがて結婚し子どもができ、その時思い出して家族で来てくれるだろう」

 

 

「ライスだけの客歓迎」

 

 

 こんな張り紙を出し、福神漬けまでおまけして提供し、それは世間で評判になった。

 

 デパートで提供する「食」に対し、並々ならぬ情熱と愛情を込めていた阪急百貨店だが、昨年はそんな阪急ですら「食の偽装」問題が起きている。

 

 デパート食堂の元祖、梅田本店の大食堂も2002年に営業を終了、「昭和の懐かしい原風景」は今や全国から消えつつある。