歴史

防災歳時記3月3日 雛祭りにまつわる意外な伝統

 3月3日は「雛祭り」。

 

 誰が、いつどこで、何のために始めたのか?

 

 残念ながら正確なことは不明であり、色々な風習が混ざり合って江戸時代に本格化し、現在まで続いてきたようで、地域によっては3月3日以外に開かれていたところもあるという。

 

 そこで今回は、雛祭りにまつわる意外な話について触れてみたい。

 

 雛祭りと言えば、まずは雛人形であろう。

 

 平安時代の天皇・皇后や貴族などを模した七段飾りは、いかにも伝統的で立派だが、現在のように豪華な姿になり始めたのは江戸時代になってからで、そもそもの起源は「流し雛」だったという説がある。

 

「流し雛」とは、自分の罪や穢れを人形に背負わせて川に流すという平安時代の風習で、言わば「厄除け」。現在の雛人形が娘の成長を願うために飾られているとすれば、これが起源だったとする説はなかなか信ぴょう性が高そうだ。

 

 なお、三人官女の中には「お歯黒」と「眉剃り」をする者がいて、いかにも日本の伝統芸の細かさが表現されていて興味深い。

 

 また、雛人形会社によっては三歌人(柿本人麻呂、小野小町、菅原道真)や三賢女(紫式部、清少納言、小野小町)も一緒に飾られるというが、その両方に絶世の美女として名高い小野小町が入っている。

 

 娘が美人になりますように…。という親の願望を反映させたものだろうか。

 

 東北や北海道では七夕祭りが8月に催されることがあるように、北陸を含む雪国での雛祭りは3月ではなく4月に行われる地域もある。

 

 もっとも、驚くべきは旧暦の8月1日(現代だと8月下旬から9月上旬にかけて)にこのお祝いが実施されてきた地域であろう。

 

 かつて香川県三豊市(旧仁尾町)では戦国時代に仁尾城の落城したのが旧暦3月3日だったため、また、兵庫県たつの市御津町室津地区でも戦国時代に室山城落城が原因で花嫁が討ち死にしたため雛祭りが延期され、両地域ともに8月1日に実施されたという。

 

 旧暦の8月1日は「八朔」と言って稲作を祝う日であり、「田の実の節句」とも呼ばれている。ゆえに、このおめでたい日が選ばれたのであろう。

 

 雛祭りというと、なんだか女の子の華やかなイメージばかりが先行するが、歴史が深い分、その背景には様々な事情があるようで、あらためて日本の伝統の重さを感じさせられる。

 

 年頃の娘さんを持って複雑な心境のお父さんは、すくすくと健康に育ってくれるだけでも幸せだった時代に思いを馳せてみてはいかがだろうか。

 

 少しは心が休まるかもしませんよ。

 

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