歴史

防災歳時記3月14日 その恐慌はたった一言から始まった

 今から87年前、1927年(昭和2年)の今日3月14日、「不幸なボタンのかけ違い」の幕が切って落とされた。

 

 当時の日本経済は不況の真っ只中、さらに関東大震災で発生した「換金できない手形」、つまり震災手形は膨大な不良債権と化していた。

 

 そんな中で、昭和2年の今日、経営が悪化し資金繰りがつかない東京渡辺銀行の渡辺六郎専務は、午後1時半ごろ大蔵事務次官に、「何らかの救済がなされなければ今日にも休業を発表せざるを得ない」と陳情していた。

 

 次官は、この状況を時の片岡直温(なおはる)蔵相に伝えようとしたが、国会審議中で相談できず、やむなく書面にして言付けた。

 

 一方渡辺銀行の渡辺専務は、大蔵省が救済措置を取ってくれる見込みが立たないことから、改めて金策に走る。

 

 そして奇跡的に第百銀行からの融資を取り付け、当日の決済を無事に済ませていた。

 

 しかし衆院予算委員会で野党から不良債権を抱える銀行などの名を明かせと追及された片岡蔵相はこう答弁してしまった。

 

「…現に今日正午ごろにおいて渡辺銀行がとうとう破綻いたしました。これもまことに遺憾千万に存じますが…」

 結果的に「誤った情報」だったが、片岡蔵相の発言は翌朝の各紙の紙面を飾り、また衆議院でのやり取りを直接聞いた人が14日就業間近の東京渡辺銀行に殺到して、我先に預金を引き出そうとした。

 

 これが発端となり関東から全国に、各銀行に「取り付け騒ぎ」が拡大。

 

 その後、いったん「取り付け騒ぎ」は収まったものの4月には鈴木商店(現 双日)が倒産、このあおりを受けて台湾銀行が休業に追いやられ、日本経済は「昭和恐慌」へと転がり落ちていった。

 

 こうした経済破綻は、その後の日本に「抜本的解決策(つまりは植民地政策)」を意識させる遠因にもなり、軍部が台頭し、日本は急速に「戦争」に傾斜していった。

 

 現在の金融システムは、オンライン化され、セイフティ・ネットが備えられ、当時のような「取り付け騒ぎ」は起きない、と考えられている。

 

 しかし本当にそうなのか?

 

 ちなみにバブルが崩壊し、主に個人向け住宅ローンを扱う住宅金融専門会社(住専)の不良債権処理問題が表面化した1995年(平成8年)、最終的に公的資金が投入されると決定するまで、「目に見えない取り付け騒ぎ」が実は発生していた。

 

 「クリーピング」と呼ばれるが、全国の市中銀行から毎月多額の預金がドロドロと引き出される現象が続いた。

 

 これが世間に知られれば、それだけでパニックになるから大蔵省はひた隠していたが、いつ「取り付け騒ぎ」に発展してもおかしくない状況。

 

 だから国民や野党から「バブルであぶく銭もうけた会社をなぜ国民の血税で助けるんだ?」と非難の大合唱を受けても、ひたすら「住専に対する公的資金投入」を決めることが不可欠だった。

 

 「なんでその会社、国民の税金で助けるの?」って不思議に思う時は、たいていこんなカラクリが裏に隠れている。

 

 だから「現代に取り付け騒ぎは起きない」なんて、「大地震は絶対来ない」って言うのと同じぐらいに信用できない。

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