歴史

防災歳時記3月18日 妖怪博士と通信教育と少年の心

 今から156年前、1858年(安政5年)の今日3月18日、越後長岡藩のある寺に一人の男の子が生まれる。

 

 名前は井上円了

 

 現在の東洋大学の前身となる哲学館の創始者。

 

 生涯「少年のような好奇心」を持ち続けた少年は、東京大学に入学し、文学部哲学科に進んだ。

 

 そこでまず井上が作ったのは「不思議研究会」というサークル。

 

そのサークルで、狐憑きとかこっくりさんとかおみくじとか、つまりは「不思議なこと全般」の資料を全国回って集め始めた。

 

 井上は、日本における「妖怪学」の祖にして、後年人々からは、「妖怪博士」とか「お化け博士」とか呼ばれた。

 

 「妖怪学」と言っても、井上の研究に「オカルトな要素」は全くない。

 

 というか、そもそも「妖怪」という言葉も、「迷信」という言葉も井上が作ったものだ。

 

 井上は妖怪を以下の4つに分類している。

 

【真怪】科学では解明できない妖怪

【仮怪】自然現象によって実在する妖怪(人魂とか狐火など)

【誤怪】誤認や恐怖心から生まれる妖怪(暗闇で何かをお化けと見間違えるとか)

【偽怪】人為的に引き起こされた妖怪(トリックがあるもの)

 

 井上によれば、世の中の妖怪のうち、偽怪が5割、誤怪が3割、仮怪が2割だそうで、つまりは本当に科学を超えたところにある「真怪」は「ほとんどいない」ということになる。

 井上は「こっくりさん」を潜在意識の為せる技と解明したほか、「正夢」について統計的に調査したりもしている。

 

 また易の大家を訪ねて、「何でそういう風に言えるのか?」と聞いて回り、問いつめれば「みんなやり方は知っているのに、極意は知らなかった」というのが真相だったらしい。

 

 井上円了の「妖怪研究」はその後、民俗学の柳田国男の登場を待つことになるが、「妖怪は民俗として大切に保存すべきもの」と思っていた柳田は、何でも科学的に解明しようとする井上の考えを真っ向から否定している。

 

 哲学による文明開化を唱えていた「妖怪博士」は、「余資なく、優暇なき者でも学べる場を作るべき(カネもヒマもない者でも大学教育を受けさせるべき)」として、1888年(明治21年)に「館外員制度」を作り、「哲学館講義録」を発行した。

 

 現在の「大学通信教育」の先駆けとなった「館外員制度」は、学校卒業後も自由に学ぶことができる仕組みとして、日本国内はおろか中国大陸にも普及していった。

 

 生涯「少年の心」を持ち続けた井上にとって、人生は、そしてこの世界は「不思議」に満ちあふれ、常に学ぶことができる環境こそが、人々を幸せに導くと感じられたのだろう。

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