歴史

防災歳時記3月20日 地下鉄サリン事件 正義なきテロ

 今から19年前、1995年(平成7年)の今日3月20日、あの地下鉄サリン事件が起きた。

 

 地下鉄丸ノ内線、日比谷線、千代田線で化学兵器として使われる神経ガス「サリン」が散布され、13人が死亡、6300人が重軽傷を負った。

 

 「生物化学兵器を使ったテロ事件」として日本はおろか、世界を震撼させたこの事件だが、この事件が、他のどんな「テロ事件」とも異なる特徴があることを忘れてはならない。

 

 通常「テロ行為」とは何らかの政治的主張などを違法な形で表明、もしくはその政治的目的を完遂することを目標として企てられる。

 

 だから「9.11」だって、アルカイダには、そして今は亡きウサマ・ビン・ラディンには、彼らなりの正義や大義があった。(もちろん、その正義や大義は認められるものではないだろうが)

 

 いくらテロリストだからと言って、「誰でもいいから手前勝手な理由で、殺していい」とは思ってはいない。

 

 多くのイスラム原理主義のテログループが、米国や西欧社会へのテロ行為を「聖戦(ジハード)」と位置づけていることからも分かるように、彼らの考える「正義」や「大義」の前に、「多少の?犠牲はやむを得ない」と考えているのだ。

 だが地下鉄サリン事件それ自体には、何ら政治的主張も正義も大義も存在しない。

 

 仮谷さん監禁致死事件や坂本弁護士一家殺害事件などで警察の教団に対する強制捜査が入ることを見越して、捜査の目をかく乱することで、捜査の手を逃れようと多くの人を犠牲にした。

 

 つまり地下鉄サリン事件は、「保身のための身勝手な大量殺人事件」であり、形こそ「テロ」だが、その内実は「テロ事件」でも何でもない。

 

 この事件を「テロ事件」などと言ったら、世界中のテロリストが怒るだろう。

 

 もしウサマ・ビン・ラディンが松本智津夫死刑囚だったとしても、「神の教えから遠のく」として作戦実行を却下したんじゃないか?

 

 あれから19年。事件が風化していくことを憂い、15日には遺族らで作る「被害者の会」が都内で集会を開き、事件を知らない若い世代へ事件を訴えた。

 

 警視庁は、その創立140年を記念する10大事件のトップに「オウム真理教事件」を選んでいる。

 

 本当にこの事件を風化させてはならない。

 

 「正義の概念」に乏しいこの国では、いともたやすく「テロより卑劣」な「大量殺人事件」が起こりうるということを。

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