歴史

防災歳時記3月30日 天才ゴッホ「ひまわり」に込めた夢

   世界で最も有名な絵画は何だろうか。


   レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」?ピカソの「ゲルニカ」?


   確かにそうだ。だが、個人的にはフィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」も捨てがたい。
花瓶に活けられた向日葵の、明るい陽だまりの中に置かれたような独特の黄色。美術の教科書や画集で、目にしたことのある人も多いのではないだろうか。


   実はこの「ひまわり」、たった一つの作品を指すわけではない。1888年8月から1890年1月にかけて描かれた複数の絵画の総称なのだ。そして、7点あるとされる同じ構図の作品群のうち、一つは東京にある。

   今から27年前の1987年の今日、3月30日、安田火災(現在の損害保険ジャパン)が約3992万ドル、当時のレートにして約58億円で落札したのだ。


   今は新宿の本社ビルにある「東郷青児美術館」に常設展示されているこの「ひまわり」は、1888年12月から1889年1月に描かれたもの。


   ゴッホは同じ題材を気のすむまで描くことで知られるが、「ひまわり」は一説には、南仏のアルルでゴッホが借りた住居「黄色い家」を飾るために制作されたとも言われる。


   日本の浮世絵の明るい色彩に魅せられ、太陽の陽ざしを求めて南仏に移ったゴッホ。彼はそこで、画家仲間と共同生活しながら制作活動することも夢見て、「黄色い家」を借りた。


   しかし、賛同して参加してくれたのはポール・ゴーギャンのみ。そのことがゴッホの心に暗い影を落としたのか、二人の共同生活はゴーギャンの到着からわずか2ヶ月後、ゴッホが精神病の発作を起こして自分の耳を切断し、幕を閉じている。


   この「耳切り事件」以降、晩年は精神を病み、入退院を繰り返したゴッホ。最後は小銃で自らを撃ち、37歳の短い生涯を終えた。


  繰り返し描いた「ひまわり」の黄色は彼にとって、希望を胸に移住したアルルの明るい太陽であり、ユートピアの象徴であったのかもしれない。


   今日3月30日は奇しくも、ゴッホの誕生日でもある。

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