歴史

防災歳時記4月1日 明和の大火と理不尽な犯罪

 死にたいけれど、自分で死ぬ勇気はないから連続殺人事件を起こして死刑になろうとするやから。

 

 連続通り魔殺傷事件を起こして、逮捕される際に「Yahoo!チャット万歳!」と報道陣に叫ぶ犯人。

 

 最近、この国は本当に大丈夫か?と不安になるほど、動機の意味不明な犯罪が増えている気がしていたが、そんなことはなかった。

 

 おかしい犯罪は今に始まったことじゃない。

 

 この国には(他の国も同様なのかもしれないが)、ずっと昔からそんな「おかしい奴」がやっぱりいた。

 

 今から242年前、1772年(明和9年)の今日4月1日、明暦の大火、文化の大火とともに「江戸三大大火」の一つに数えられる「明和の大火」が起きた。

 

 この日、午後1時ごろに目黒の大円寺から出火した炎は、折からの南西の風にあおられて麻布、京橋、日本橋と北上し、日本橋あたりは壊滅状態となった。

 

 この大火での死者は1万4700人、行方不明者は4000人

 

 その後、「寛政の改革」を断行した松平定信の屋敷すら類焼したという。

 この大火の鎮火後、放火犯捜査に活躍するのが、あの「鬼平犯科帳」でおなじみ「火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)」。

 

 当時の火付盗賊改頭(長官)だった「鬼の平蔵」こと長谷川平蔵親分のお父さん「長谷川宣雄」の指揮の下、約1ヶ月後に大円寺の坊主(僧侶くずれの荒くれ者との説もあるが)が逮捕される。

 

 当時36歳だった長五郎とか真秀とか呼ばれるこの坊主は「女犯の罪を咎められた」とか「お布施をちょろまかしたのがばれて破門になったことを逆恨みしていた」とか、いずれにせよそんな理由で放火の罪を犯していた。

 

 長五郎(真秀)は、火事から3ヶ月後に、市中引き回しの上、浅草で火あぶりの刑に処せられたが、処刑に際しても「当今はご倹約ばやりだから、5件ほど焼くつもりだったが、大火事になってしまった」とうそぶいていたと伝えられている。

 

 そう、いつの時代にもこういうやからは存在したし、こういう人たちをして「反社会的人格」と呼ぶのだろう。

 

 出火元になった大円寺には、この明和の大火で溶けたといわれる「とろけ地蔵」が今も祀られている。

 

 見るも無惨な外見の「とろけ地蔵」だが、願い事をすれば、どんな悩み事も「とろりととろけさせてくれる」という、ありがたい御利益があるとのこと…。

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