歴史

防災歳時記4月4日 遠山の金さんと東京都知事

 今から174年前、1840年(天保11年)の今日4月4日、47歳の北町奉行が誕生した。

 

 北町奉行(南町奉行)は現在で言えば、東京都知事で警視総監で東京地裁判事のような役職だから、47歳で北町奉行就任というのはかなり出世が早い。

 

 その北町奉行の名前は、遠山金四郎景元

 

 「おうおうおう!黙って聞いてりゃ寝ぼけたことをぬかしやがって!この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねえぜ!」

 

 そう、あの「遠山の金さん」だ。

 

 本当の遠山景元に、「桜吹雪の彫り物」があったかは定かではないが、景元はしきりに袖を気にして、めくり上がるとすぐ下ろす癖があったらしい。

 

 ちなみに実際の「遠山の金さん」は、家庭環境が複雑だ。

 

 祖父に実子がなく養子(金さんの実父)を取った→その後に実子出来たため、実子を養子(金さんの実父)の養子(金さんの養父)にした→その後に金さんが生まれたので養子(金さんの養父)の養子にした

 

 と、まあ上級武家の家になると家督を継ぐ子どもを得るために四苦八苦したのだろうが、つまりは金さんは遠山家にとって「じゃまな存在」となってしまい、11年ほど「放蕩生活」を送ることになる。

 

 この頃に、やんちゃをして「彫り物」を彫ったのではないか?と思われているだ。

 ちなみに金さんのお父さんも、上流武家の養子に見込まれるぐらいだから出世の早い「能吏」だった。

 

 そんな優秀な頭脳を引き継ぎ、11年の放蕩生活で庶民の生活の酸いも甘いもかみ分け、無敵のパワーエリートとなった金さんは、天保の改革を行なった老中 水野忠邦に抜擢されて、若くして北町奉行に就任した。

 

 ところで金さんはなぜそんなに人気が出たのか?

 

 天保の改革とは幕府財政の立て直しを目指し、倹約生活を進めた改革。寄席などの町人の娯楽を「ぜいたく」として禁じた。

 

 これに対して、金さんは「ほどほどに」と禁令の緩和を求めていたのだ。

 

 「このままでは寄席が取り潰しに」、となるところに金さんが「まあまあ…」とすれば、否が応にも「金さん人気」は高まり、芝居小屋は「金さん英雄伝」を演じて盛り上がる。

 

 そもそも水野忠邦に抜擢されて北町奉行に就任、金さんは天保の改革を実施する立場にいたのだから、本当は敵対していたのではなく、単に「立ち回りがかなりうまい役人」だっただけなのかもしれないが、いずれにせよ、こうした背景から「金さん」は江戸中の人気者になる。

 

 不世出の人気東京都知事だ。

 

 猪瀬直樹前東京都知事、舛添要一現東京都知事と、このところ都知事はカネの問題を指摘されるなど、「人気者」とは程遠い状態。

 

 ちなみに遠山の金さんは、その後、床見世(現代で言う屋台村か)の存続や寄席の復活を実現させている。

 

 遠山の金さんの例を見る限り、「人気東京都知事」になるためには、やはり「カジノ」を実現させて、メディアを味方につけるしか手はないのか…。

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