歴史
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防災歳時記4月24日 八重山諸島を襲った明和の大津波

   今から243年前……と言うと、「ずいぶん昔の話だなぁ」と白けるかもしれない。


   だが、こと自然災害において100年、200年というスパンは決して長いものではない。


   ましてや我々が住んでいるのは地震列島・日本だ。どこに住んでいようが、震災は他人事ではすまされない。


   そして243年前、大災害に見舞われたのは沖縄県だった。


   1771年の今日4月24日(明和8年3月10日)の朝、先島諸島の島々をM8.0の地震が襲った。震源は石垣島の南東沖とされ、石垣島では震度4、沖縄本島や慶良間諸島、与那国島などでは震度3程度の揺れがあったと推定される。


   揺れ自体はさほど強くなく、直接の被害はなかったが、この「八重山地震」で恐ろしかったのはその後だ。

   潮が引いた浅瀬に青や黄色の魚が跳ね回り、村の人々が歓声を上げて捕まえていたところ、東の空ににわかに立ちのぼる暗雲。やがて轟音が響くと、暴れ馬が駆けるように壁のような津波が沿岸に迫ってきた……。


   その高さ、石垣島で最大30メートル以上。


   押し寄せた波はあっという間に村人たちや家々を飲み込み、石垣島を含む八重山諸島では地震前の人口の3分の1にあたる約9400人が命を落とした。村ごと流され、死亡率が100%に達した地域もあったという。


   津波は他の島々にも押し寄せ、石垣島の東にある多良間島では15メートル、宮古島周辺では10メートルの高さに達した。また、遠く房総半島でも潮位が上下し、船を陸に上げた記録が残っている。


   元号から俗に「明和の大津波」と言われるこの津波の残した爪痕は深く、塩害を受けた田畑では農作物の収穫量が激減。衛生環境の悪化で疫病も蔓延し、飢饉と重なって石垣島では人口減少が100年続いたとされる。

   小規模な揺れに反して大津波が発生する地震は125年後にも起こった。1896年6月15日に東北・三陸沿岸を襲った「明治三陸津波」である。


   そして、それから115年後が「3・11」だ。


   過去の大災害は、長い年月を経ているため、そのメカニズムは十分に解明されていない。明和の大津波も正確なマグニチュードは不明で、大津波が起こった原因も詳しくはわかっていない。


   だが、少なくとも彼の地に津波が押し寄せた記録があり、潮が引くなど予兆とみられる現象も確認され、今を生きる我々に”教訓”を残してくれている。


   未来の災害に備えるため、「過去の災害」から学ぶ。その気持ちを新たにしたい。