歴史
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防災歳時記5月4日 一国の宰相になるより難しい? 英ダービー開催

 今から234年前、1780年の今日5月4日、イギリスのエプソム競馬場で第1回ダービーステークスが開催された。

 

 青い芝生の上を見目麗しいサラブレッドが疾走するこのレースは、後に世界の競馬の見本とされ、ダービーの2400メートルという距離は、それが基本という意味なども込めて「クラシックディスタンス」と呼ばれている。

 

 同じく最も権威のあるフランスのレース・凱旋門賞も、日本やその他多くの国のダービーもこの距離だ(アメリカなどを除く)。

 

 しかし、イギリスのダービーだけは、やはり別格だ。それはダントツに歴史が古いということもあるが、ある政治家の「名言」が広まっているせいだと思われる。

 

「ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になるよりも難しい」

 

 ある政治家とは、ウィンストン・チャーチル。第一次世界大戦と第二次世界大戦でイギリスを戦勝国に導いた同国の代表的政治家である。彼は動物好きでも知られており、多数の競走馬オーナーでもあった。

 

 日本の三冠レースでも、皐月賞は最も速い馬が勝ち、菊花賞は最も強い馬が勝ち、ダービーは最も強運な馬が勝つと称されている。

 

 本場のイギリスならば、それがどれだけハードなことか、想像に難くないだろう。

 

 しかし、である。このチャーチルの名言、実は後世の創作であるという。

 

 詳細は不明ながら、別のダービー馬オーナーの発言が巡り巡って人気政治家である彼のセリフとされたというのが真相らしい。

 

 日本の競馬ファンの間では、今でも常識のようにまかり通っているが、たとえデマだからといってイギリスダービーの権威が損なわれるわけでもない。なんせこのレースは1780年から234年間、戦時中も毎年欠かさず開催されてきたのである。

 

 1780年と言えば、日本は江戸時代であり、まだまだ国内には「ポニー」サイズの馬しかいなかった。 そんなときからレースをしていたイギリス競馬の歴史の深さには感服するほかない。

 

 なお、この栄えあるダービーステークスは、創始者であるダービー伯爵から名付けられたものだが、レース名を付するときに一悶着あったという。

 

 ダービー伯爵が当時の共同主催者(別の貴族)と「レースには、おまえの名前を付けてくれ」と双方譲りあったのだ。

 

 こんな名誉あるコトを譲りあうなんて、さすが紳士の国――。というワケじゃない。当時は、同国の片田舎で行われるレースという認識であり、2人とも自分の名前を出されるのを嫌がったという。

 

 結果、クジによってダービーステークスと決まったが、よもやそれが世界の競馬の頂点に立つなんて、これはもはや「一国の宰相」どころか、世界を制覇するぐらいの困難さであろう。

 

 ダービー伯爵に名前を譲った貴族・バンベリー準男爵は、今頃天国で悔しがっているに違いない。