歴史

防災歳時記5月6日 ドーバー海峡トンネルと日本の技術力

   今から20年前、1994年の今日5月6日、イギリスとヨーロッパ大陸を隔てるドーバー海峡に海底トンネルが開通した。


   俗に「ユーロトンネル」とも呼ばれる(実は運営会社の名前)ドーバー海峡トンネルは、イギリスのフォークストンとフランスのカレーを結び、海底部の総距離は37.9キロ。日本の青函トンネルを抜いて世界一だ。ただ、陸上部も含めると、ドーバー海峡トンネルは50.5キロで、53.85キロの青函トンネルに首位の座を譲る。


   いずれにしろ、世界トップレベルの規模と技術を誇るものには違いなく、その開通までの道のりは両者とも、とてもとても長かった。

   津軽海峡の海底約100メートルを走る青函トンネルは、1988年に開通。実際の掘削作業が始まったのは1961年だが、構想自体は太平洋戦争前からあった。それが1950年代に入り、朝鮮戦争の残留機雷が海峡に流れてきたり、青函連絡船が台風接近下で遭難して1155人もの死者・行方不明者を出した「洞爺丸事故」が起きたりして、一気に具体化したのである。


   ドーバー海峡トンネルはさらに時代をさかのぼり、初めての掘削作業がイギリス側から行われたのは1881年だ。


   ただ、最初に海峡を横断するアイディアがフランスのアミアンアカデミーによって募集されたのは1751年で、実にナポレオンの時代から「ヨーロッパを陸続きに」の夢は始まり、掘削開始まで130年を要したことになる。

 

   技術の未発達さやヨーロッパの外交事情などから、工事は何度も中止と再開を繰り返した。それでも、プロジェクトが頓挫することがなかったのは、ドーバー海峡でも1980年代に大型フェリーが転覆して200人近くが死亡する事故が起き、青函トンネルと同様に、海峡を結ぶトンネルがいつしか「夢」から人々の「悲願」になっていたからである。

   嬉しいことに、ドーバー海峡トンネルには日本の技術力も生かされている。工事の主役とも言える、トンネルを掘り進む掘削機を、川崎重工業などが製作したのだ。


   ドーバー海峡には日本にはない「チョーク層」という地層があった。水を含むとどろどろになり、乾くと機械に張り付く。この厄介な地層に加え、英仏の現地のスタッフとは言葉や習慣の壁もあった。


   そのうえ、相手は従来の技術の倍近い月500メートルの高速掘削を要望。しかも、受注から設計、製作、納入まで13ヶ月という無茶ぶり。


   川崎重工業の技術者たちは頭を抱えただろうが、それまでに1000基に上る掘削機を手掛けてきたノウハウでもって応え、部品総数10万点に上る掘削機2基を製作。月に最大1200メートルを掘り進め、連続掘削距離は予定の16キロを大きく上回る20キロを達成し、計画より8ヶ月も早く掘削を終えた。


   何年もかけた掘削の末、トンネルが貫通した時の喜びは言葉にならないほどだっただろう。


   日夜、地下で働くトンネル工事の作業員たちは、俗に”モグラ”とも呼ばれる。悲惨な事故をもう繰り返させないーー。そんな思いが支えた”モグラ”たちの意地とプライドで、海の底にトンネルを通すという偉業は達成されたのである。

 

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