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  • 歴史

東日本大震災が起きてから、日本の歴史が震災という新たな角度で注目されるようになった。

 

M8.0クラスの大震災
富士山の噴火
大飢饉を招いた気候の寒冷化
など

 

かつては「大げさ」の一言で片付けられがちだった古文書の内容が、現実を目の当たりにして笑い事では済まされなくなったからだ。


歴史の記録には、我々の祖先が体験してきた貴重な記憶が詰まっている。

当連載では、それをやさしく紐解くことで、災害の今昔を学んでいきたい。

第二十三巻 飢饉と戦争がカオスを織りなす 戦国時代

 戦国時代――。


 織田信長や豊臣秀吉など、華やかな武将がクローズアップされる一方、現実は戦争の絶えない殺伐とした時代でもある。

 

 国全体を統轄する機関はなく、社会は混沌。そして、あまり語られないことではあるが、極めて自然災害の多い時代でもあった。

 

 ド派手な合戦や武将の活躍など、表舞台ばかりが語られる背景では、いかなるハザードが起きていたのか。 

 

 自然災害という観点から戦国時代にアプローチしてみたい。

北条早雲の軍 遠江に乱きたる

 江戸時代前期の儒者・貝原益軒は、「大勢の人が死ぬ4つの理由」として、次の4項目を挙げている。

 

裁判(死刑)
戦争
飢饉
疫病(悪性の伝染病)

 

 今の日本からは考えられないケースばかりであろう。ごくわずかな死刑があるだけで、戦争や飢饉は皆無。疫病が原因で大勢の人が死ぬケースもほとんどない。

 

 しかし、鎌倉時代から戦国時代までの中世450年間は、特に飢饉と疫病が猛威を奮い、史料からは飢饉が169件、疫病の流行が182回起きていたことが読み取れる。両者をあわせると、ほぼ毎年、全国のどこかで災害が起きていたのだ。

 その中でも、とりわけ戦国時代は、飢饉の被害が酷かった。主な原因は、大局的に見ると気候の寒冷化で、そこへ度重なる自然災害、そして戦争が拍車をかけた。

 


 飢饉と戦争の関係は、実は結構難しい。
 飢饉が起きて食べ物がないから、その奪い合いの戦争となるのか。あるいは、戦争で田畑が荒れて作物が取れないから、飢饉となるのか。ならば、食物が満足に取れれば、戦争にはならないのか。

 

 まるで卵と鶏論争である。500年が経過した今となっては、おそらく誰にも答えは出せないが、いずれにせよ個性あふれる戦国武将が活躍する背景で、飢饉が常態化していたのは間違いない。

 

 

 たとえば、戦国初期には、こんな記録が残っている。

 

 北条早雲(1432-1519。正式名は伊勢長氏)。彼は、そもそも室町幕府の家臣で、一国を持つような身分ではなかったものの、伊豆や小田原で起きた内紛や戦争に乗じて同地方を制圧し、戦国大名・北条氏へと成り上がった、まさに下剋上を体現した人物だ。
 その早雲が1494年、数千の兵士を率いて現在の遠江(静岡県)を攻めたときの様子を、ある僧侶が次のように記録している。

 

『当州(遠江)に乱きたる。(略)村の男たちは頭をかかえて嘆きうらみ、男の女たちは幼な児を抱いて逃れ去る。飢えた人々は路傍に満ち、餓死する者も数え切れないほど。(現代語訳は、藤木久志『飢餓と戦争の戦国を行く』による)』

 

 激しい戦争に巻き込まれ、子供を抱えて逃げ惑う村人たち。戦争が引き金となって、飢えに苦しむ人々が大勢、路上にあふれかえった。まるで地獄絵図である。

  北条早雲が遠江攻めを行なった1494年、遠江(静岡県)は干ばつの真っ只中にあった。農作物に必要な雨が長い期間降らなかったのである。

 そんな自然災害の真っ最中におきた戦乱は、ますます庶民たちを追い込み、餓死者が続出する最悪の事態となった。

 

怒った農民たちが年貢を数年滞納することも

 東海地方だけでなく、1494年というのは、まるで日本列島が呪われていたかのように、大きな自然災害が頻発した。

 東北地方では大雨と洪水。奈良や京都では激しい干ばつの後に、それが一転して大雨と洪水。いずれも多数の死者が出ている。

 

 中央政府や指導者による治世が安定した国家であれば、政治が中心となり何らかの対策を施すであろう。
 が、戦国時代にはそんな為政者はいない。全国の領袖たちは、各地方の都合のみで動いていた。

 

 

 それを代表するかのような言葉が「乱取(らんどり)」である。
 戦争に出向いた敵地で戦利品を略奪することであり、戦死した人々の身ぐるみを剥ぐばかりでなく、近隣の村を襲い、食べ物や家財、はては村人などを生け捕っては後に奴隷として売買もした。
 乱取りは、命がけで戦争に参加する兵士の特権でもあったのだ。

 

 また、軍隊そのものが敵地で食料を調達して、戦争を継続することも珍しくなく、襲われた村は壊滅状態になった。これでは飢饉がますます加速するワケである。

 

 

 もっとも村人たちも、ただ指をくわえていたわけではなかった。

 たとえば、城や町から離れた山の高台に、共同の避難所を設ける地域もあった。
 人さらいなどから逃れるためで、村全体が武装し、敵方の武将と一戦を交えることもあった。避難所で団結しての抵抗は、自らの命を守るための村人の知恵である。

 

 なお、こうした村人の抵抗は敵だけでなく国内の領主にも向けられ、たとえば年貢の滞納も行われた。

 

「無いもんは無いんだから払えませんよ」
 そんな一種の開き直りで、何年も滞納し、大幅な減免を勝ち取ったケースも見られる。村人たちも相当追い込まれていたのであろう。たとえ相手が自国の戦国武将でも、決してヤラレ放題ではなかった。

 

 村人による「年貢滞納要求」は、戦国より以前の比較的平和な時代には、あまり見られないことだった。

 

 それまでは「一定の税を納めるのが当たり前」という認識で、年貢さえ納めておけば安全も確保できるという見返りがあったのだ。

 ところが戦国時代に入り、安全の保障という見返りがないのであれば、わざわざ年貢など納める必要もない。
 こうした民衆の意識変化を、一種の「下剋上」と評価する研究者もいる。


 華々しい武将たちが織りなす戦国時代。その背後では、自然災害と戦乱に苦しみながらも、それでも生き抜いた民衆たちがいた。

文・恵美嘉樹(えみよしき)
作家。歴史研究の最前線の成果を社会に還元する二人組。
著書に『全国「一の宮」徹底ガイド』(PHP文庫)、『最新日本古代史の謎』(学研)など。

好きな戦国武将は伊達政宗

 

【参考文献】
藤木久志『飢餓と戦争の戦国を行く』(朝日選書)
山田邦明『日本史のなかの戦国時代』(山川出版社)

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