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  • 歴史

東日本大震災が起きてから、日本の歴史が震災という新たな角度で注目されるようになった。

 

M8.0クラスの大震災
富士山の噴火
大飢饉を招いた気候の寒冷化
など

 

かつては「大げさ」の一言で片付けられがちだった古文書の内容が、現実を目の当たりにして笑い事では済まされなくなったからだ。


歴史の記録には、我々の祖先が体験してきた貴重な記憶が詰まっている。

当連載では、それをやさしく紐解くことで、災害の今昔を学んでいきたい。

第三十二巻 なぜ天照大神は伊勢神宮に祀られたのか

 2013年10月2日、三重県の伊勢神宮で式年遷宮(建て替え)が行われ、世間は大いに盛り上がった。

 

 皆さんもご存知、ここに祀られている神様は、太陽の女神アマテラス(天照大神)である。

 

 日本神話では、自然界のトップに位置する神様であり、彼女のいる伊勢神宮では、個人の参拝客がお賽銭を投げて私的なお祈りをすることは許されていない。古来より、皇族を中心に神様を敬ってきた特別に神聖な場所なのである。

 

 なにかと別格扱いされているアマテラス。今回は、この女神を通じて、世間にはあまり知られていない古代のハザード事情や、彼女が伊勢神宮に祀られるまでの逸話をご紹介したい。

 

アマテラスのモデルとなったのは卑弥呼説

 アマテラスで最も有名な伝説といえば、「天の岩屋」であろう。

 弟・スサノオ(海の神)との争いに敗北したアマテラスが、暗い洞窟の奥へ入り込んでしまうと、太陽(彼女)がなくなり、世界もまた闇に覆われてしまうという話である。

 

 この逸話、単なる空想上のストーリーではなく、とある自然現象が関係している。
 そう、太陽の一部、あるいはすべてが闇に覆われてしまう日食だ。

 

 古代人にとって日食は、地震や火山噴火などと同じく、敬して畏れるハザードそのものであり、だからこそ、神話にも記録が残された。

 そしてこの日食の記録から、「天の岩屋とアマテラス伝説のモデルになったのは卑弥呼ではないか?」という面白い説が提唱されている。


 アマテラスの登場する日本神話の確立時期は、奈良時代辺りとされている。

 

 古天文学を創設した斉藤国治氏によると、神話が生まれる前の弥生時代から飛鳥時代までの600年間で、皆既日食は25回発生。
 この25回のうち、天の岩屋伝説の由来として注目されているのが247年と248年の日食。当時の倭国女王・卑弥呼が亡くなった年である。

 

 つまり、洞窟の暗闇へ入り込んだアマテラスの話は、日食のあった年に黄泉の世界へ旅だった卑弥呼の姿に重ねあわせたのではないか、というものである。


 女王・卑弥呼と女神・アマテラスとは、あまりにも出来過ぎた組み合わせかもしれないが、もともと卑弥呼の名前は「日の巫女(巫女)」から由来しており、その役目は「太陽を司る」、つまり太陽を管理することだった。関わりがないとは言い切れない。
 なかには、「2年連続で不吉な日食を引き起こした」という失敗が原因で卑弥呼は殺されたのではないか、という説を唱える者までいるほどだ。

 

 また、247年に起きた日食は劇的で、夕方の時間帯に太陽が地平線に沈みながら段々と日が欠け、そのまま闇に消えていくという、当時としては恐怖そのものの光景となった。
 その日食の様子が、九州でしか確認できなかったことから、邪馬台国=九州説の根拠と主張する研究者もいるほどである。

 

 いずれにせよ卑弥呼の死から程なくして、古墳時代のヤマト国が建国され、その後の神話誕生へとつなぐっていくのは間違いない。

 日食という当時の自然災害が、一人の女王の命を奪い、そこからアマテラス伝説が産まれてきたとしたら、これほどの古代ロマンはないだろう。

 

日本を襲った災厄がアマテラスの祟り?

 アマテラスが祀られている伊勢神宮は三重県に位置している。なぜ、奈良や京都など、古代の都から離れた場所に建てられたのか?

 

「日本書紀」の神話によると、アマテラスは当初、鏡として天皇と共に大和(奈良県)の宮殿にいた。

 しかし、第10代崇神天皇のときに、日本中で疫病が大流行し、なんと人口の半分が死ぬという大惨事が発生。こうした災害は何らかの事実を元に描かれた可能性が高く、もしかしたら疫病だけでなく干魃などの気候変動も同時に発生したのかもしれない。

 

 災厄は翌年になっても治まらず、時の崇神天皇はあることを思いつく。

 

「私と一緒の宮殿に、アマテラスと大和の地主神(ヤマトノオホクニタマ)の2神が祀られているのが原因ではなかろうか」

 

 当初、一緒に祀られていたこの2人の神様は、王朝が調べたところ「実は相性が悪かった」と判断され、このままではチカラの強いアマテラスの祟りが続くのではないかと懸念された。

 そこで新たな神宮を作るため皇族の巫女に「清浄な土地」を探させ、伊勢にたどり着いたのが、崇神天皇の次の代、垂仁天皇25年のことだった。

 

 このときアマテラスは、次のように語ったとされる。

 

【この神風の吹く伊勢の国は、すなわち常世(現世以外の世界)からの波が打ち寄せる国である。辺境の<うまし国>。ここにわたしはいたい】

 

 以上は神話の話であるが、歴史学的に言うと、崇神天皇や垂仁天皇は実在し、その治世は西暦300年前後と考えられている。
 当時の伊勢は、中央ヤマトの影響が到達してない辺境の地であり、時間にして約200年ほど文化の遅れた地域だったからこそ「清浄の地」として認められた可能性もある。

 

 かくしてアマテラスは伊勢で祀られることになったが、無事に国は治まったのか? というと、これが簡単ではない。

 

父母や弟を忘れて台風直撃

 朝廷はその後も、アマテラスの祟りを恐れて伊勢神宮に巫女を派遣し続けた。

 が、天皇が病気になった原因が、占いの結果、アマテラスの祟りとされたりするなど、何かと恐れられ続けた。

 

 そして奈良時代の772年8月、伊勢に凄まじいハザードが到来する。

 

 台風である。

 

 史書「続日本紀」によると、異常に激しい風と雨で樹木は根元からひっくり返され、建物の多くが倒壊。
 まさに、1959年9月に東海地方を襲い、死者・行方不明者5101名を出した「伊勢湾台風」を彷彿させる暴風雨であったのだろう。

 

 朝廷はこの台風の原因を、アマテラスの両親である「イザナギ・イザナミ」、弟の「月読」による祟りと判断し、すぐに官社(朝廷直轄の神社)を建てて、彼らを祀った。それが内宮から1.8キロ、外宮から3.8キロの位置にある月読宮である。

 

 崇神・垂仁天皇の代にアマテラスの神宮を建てたまではよかったが、朝廷は、台風をキッカケにその家族が放置されていたのを思い出し、急遽、同じ伊勢の地に祀ったのである。

 

 

 なんとも人間臭い発想であるが、万物に対し畏敬の念を抱き、他者を敬う日本人の美徳は、こうした歴史に裏付けられているのかもしれない。

 

 伊勢参り。機会があったら皆さんも一度ぜひ。ただし、縁結びなどの私的な欲求を満たす場所ではないことを、あらためてご忠告申し上げたい。

 

著者紹介
文・恵美嘉樹(えみよしき)
作家。歴史研究の最前線の成果を社会に還元する二人組。
著書に『全国「一の宮」徹底ガイド』(PHP文庫)、『最新日本古代史の謎』(学研)など。

 

参考文献
斎藤英喜「アマテラス―最高神の知られざる秘史」(学研新書)
榎村寛之「古代の都と神々―怪異を吸いとる神社」(歴史文化ライブラリー)
皇學館大学編「伊勢と出雲の神々」(学生社)

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