歴史

防災歳時記11月28日 航空機事故の厄日

 11月28日は「航空機事故の厄日」とでもいうのだろうか?

 

 歴史上、大きな航空機事故が3件も、この日に起きている。

 

 まず最初の事故は、今から41年前、1972年の今日11月28日に、日本航空446便DC-8がモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港を離陸して100メートルも上昇したところで、急に失速して墜落した。

 

 この事故で乗員乗客76人中、62人が死亡した。

 

 着陸時に飛行機を減速するために使う「グラウンドスポイラー」を副操縦士が戻し忘れ、スポイラーが展開した状態のままで離陸しようとしたのが墜落原因。

 

 操縦ミスという『人災』だった。

 

 

 次は、日航機の事故から7年後の1979年の11月28日、南極ロス島のエレバス山の山腹にニュージーランド航空901便DC-10が激突して、乗員乗客257人が全員死亡した。

 

 事故の直接的な原因は、吹雪による「ホワイトアウト」で視界が確保できなかったことだが、事後にニュージーランド航空側のミスが発覚した。

 慣性航法装置(INS)へクルーが入力する通貨ポイントの座標データが、距離にして45キロほど地上スタッフによって書き換えられていた。

 

 修正を知らないクルーが、直前のポイントからデータ通りに直線で進むと、激突したエレバス山の直上を飛行することになる。

 

 当時はGPSもなく、ホワイトアウトしたままニュージーランド航空機は、計器が示す通り、放たれた矢の如く一直線にエレバス山に激突したものと思われる。

 

 この事故は、地上スタッフのミスという『人災』だった。

 

 

 そしてこの事故から8年後、1987年の11月28日に、南アフリカ航空295便ボーイング747がインド洋に墜落し、乗員乗客159人全員が犠牲になった。

 

 墜落の3分前に、295便から「煙が充満し、緊急着陸しなければならない事態」との通信があったことから、何らかの火災があったことは推測できたが、現在も本当の事故原因は不明のまま。

 

 当時の南アフリカはアンゴラと戦争状態だったが、一方でアパルトヘイト政策のために、他国から兵器を輸入できない状況にあった。

 

 そのためロケット兵器の推進剤である「過塩素酸アンモニウム」をこっそり民間航空機の貨物室に積んで、「密輸」していたのではないか?との推測が有力視されている。

 

 11月28日に起きた3件の悲劇。

 

 まさに「航空機事故の厄日」としか言いようもないが、共通していることは、すべての事故原因が『人災』だったこと。

 

 航空輸送の安全は、実に多くの人の手により成り立っている。

 

 日航123便の墜落事故が明らかにした通り、「空の安全」のためには数100万個といわれる航空機を構成するパーツのすべてが良好に保たれている必要があるのと同様に、航空輸送に携わる無数のスタッフ(乗員だけでなく)のすべてに、細心の注意と最善の努力が求められている。

 

 「公共交通の安全と信頼」とは、それほどに微細なバランスの上に成り立つものなのだろう。

 

 今、北の大地では、輸送の安全を守る、その大事なバランスが完全に壊れてしまっているようにも見えるが……。

 あなたにオススメの記事