• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

陸上自衛隊 現在の実員数 約14万人。
創設から58年の歴史の中で史上最大の作戦は、言うまでもなく「東日本大震災への災害派遣」だ。
のべ派遣人員1066万人、派遣期間291日間、犠牲になった隊員は5名。
福島第一原発上空で放水する陸上自衛隊のヘリコプターのテレビ映像に釘付けになった人も多いだろう。
メディアで刻一刻と状況が報じられる裏側で、陸上自衛隊に何が起き、どのように作戦を遂行していったのか?
当時の陸上自衛隊トップ 火箱芳文前陸上幕僚長が2年近く経った今、「史上最大の作戦」の真実を語り始めた。

第15回 プロメテウスの希望 ゼウスの怒り(10)

火箱陸幕長の人心掌握術

 火箱芳文という陸自トップの特徴のひとつとして挙げられるのは、極めて「人望が厚い」ということだ。

 

14万人のトップに立つのだから、人格円満なことは当然求められるべき資質だが、火箱の人望は、ある種の『カリスマ性』みたいなものを帯びており、自衛隊外にすらファンが多いほどだ。

 

「火箱さんのような上官に仕えたい」とのたまう大ジャーナリストもいれば、福島第一原発3号機の爆発事故にあった岩熊真司中特防隊長(当時)も、「あの独特なオーラを身にまとうのは並大抵のことじゃない」と火箱を評している。

 

『カリスマ性』とは言ったが、決して本人は政治的な動きや「派閥工作」のような行動をとるタイプではない。

 

どちらかと言えば、『野心的』というより『自然体』なタイプだ。

 

しかし異常なまでのその人望の厚さの秘訣は、半分は生まれ持った天真爛漫な性格によるものだろうが、もう半分は人心掌握術に長けた火箱の資質に由来している。

 

 

雑談 それは陸幕長ブリーフィング

 東日本大震災への対処中、火箱は毎晩遅くに上級指揮官たちに電話をかけている。指揮官たちは孤独だ。

 

未曾有の災害対処という巨大なプレッシャーに押しつぶされそうになっても部下に弱音は吐けない。そんな心中を察して、火箱は彼らのストレスを和らげようと腐心していた。

 

宮島俊信CRF司令官なども、「自分は陸幕長のカウンセリングを受けていましたから。」と冗談まじりに当時の様子を述懐している。

 

そしてもう一つ火箱の日頃からの習慣がある。

 

一日の業務が終わった後に、陸幕長執務室そばの庶務室のソファーに座り、そこらへんに残っている部下たちと他愛もない雑談をする。その時間まで残っている陸幕幹部がいると、自然、その席に加わったりするようになる。

 

一見他愛もないおしゃべりのように見えて、それは陸幕長方針のバックグラウンドブリーフィングとしての機能も果たしていた。

 

無味乾燥な文章で通達される命令の行間を埋めるように、陸自トップとしての考え方や思いが説明され、人の口から口へと14万の組織にじわじわ浸透していく。

 

15日も、『長い1日』を終えた深夜、火箱は庶務室で日頃の習慣を実行していた。

誰かが人柱になるしかないのか

 その晩、陸幕庶務室の応接セットには、岡部俊哉陸幕教育訓練部長、清田安志庶務室長、沖邑佳彦教育訓練計画課長、清水一郎最先任上級曹長らがいた。

 

彼らに火箱は、昼間会った経産省官僚の話と2号機に対するホウ酸投下作戦を説明するとともに、幼い頃に遠足で行った大分県の「八幡鶴市神社」に伝わる伝説を語り始めた。

 

「近くの山国川に大きな井堰を作るにあたり、地頭の家臣の娘にお鶴と、その子の市太郎というのがいてな。累代のご恩に報いると申し出て人柱になったって言う伝説があるんだ。」

 

「お鶴と市太郎のように、福島第一原発も最後は誰かが人柱になって『決死隊』で行くしかないんかなあ…。」

 

「……」

吉村を行かせる時は、オレも行くからな

「空中機動で、度胸もなきゃいかんから、使うとしたら空挺だな。もう先のない、命も何も要らないって奴だけで行くしかないな。

例えば吉村とかな…。」

 

吉村とは、火箱が第1空挺団の中隊長時代に陸曹として仕えてくれた昔からの仲間で、震災が発生したとき、定年退官まであと数日だったにも関わらず、自ら志願して被災地に赴いていた。

 

火箱のアイデンティティーともいえる出身部隊にして、陸自最強集団として『精鋭無比』を自負する第1空挺団。

 

「吉村を行かせる時は、オレも行くからな。もう決心してるからお前らが止めてもムダだぞ。」

 

火箱を見る限り、『死出の旅』を覚悟するときは、最も愛し、最も信頼する身内からその道連れを選ぶのが武人の行動様式らしい。

 

火箱は、この後も、極めて危険が伴う可能性が高い局面では常に第1空挺団を起用している。

事に臨んでは危険を顧みず

「最後の時は、陸幕長自ら福島第一原発に『決死隊』で行かれる覚悟をしているらしい。」

 

その話は、あっという間に上級指揮官の間に広まっていった。

 

3日後の19日に宮島CRF司令官は、夜遅く火箱と電話で話している。

 

「陸幕長が行かれるなら私も行きますね。

年寄りの指揮官だけで行きましょうよ。

レンジャー徽章付けてる奴らでやれば、スリングネット使って降りるなんて大した話じゃないですよ。」

 

いくら『服務の宣誓』をしたからと言って、抽象的な『国家』という概念のために生命を投げ出すことは自衛官でもいささか難しい。

 

自衛官が忠誠心を持って本当に「危険を顧みず」行動できるのは、自分の指揮官に対し、「この人のためなら…」と思えた瞬間だと言う人もいた。

 

国家存亡の瀬戸際にあって、この晩、火箱は自らが範を示すことにより、14万陸上自衛官に対し、「事に臨んでは、危険を顧みない」ことを改めて示達していた。

 

      (次回につづく)

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