• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第30回 軍の将 兵の将(5)

必要な物はすぐ調達して現場に送れ

 清水陸自最先任上級曹長が持ち帰った情報によって、火箱陸幕長始め市ヶ谷防衛省の陸上幕僚監部にも次第に現地の生の状況が伝わり始めた。

 

「まず、装備部長を呼べ!」

 

清水から報告を受けた火箱は開口一番こう言うと、「ご遺体の収容袋や線香など、捜索やご遺体の回収に必要なものはすぐ調達して現場に送れ。」と即座に指示を出した。

 

ゴム製の胴長など容易に調達できる物はもちろんだが、長い鳶口など大量の既製品が調達できないものは、十条駐屯地(東京都北区)の陸上自衛隊補給統制本部(補統)に作成を命じた。

 

補統は、すぐさま特製鳶口の設計図を描き、各地の補給処に8000本の作成指示を出す。この特製鳶口は補統本部長 安部隆志陸将の名前をとって「安部式鳶口」と命名された。

 

しかし火箱の心に最も影を投げかけたのは、「大規模災害では、被災者はもちろん、それを支援する者の心身をも強烈なストレスが苛む。」という厳しい現実だった。

 

解除ミーティング

 行方不明者の捜索(遺体の回収作業)をする隊員の精神的ストレスを目の当たりにした清水は、各現地派遣部隊で「解除ミーティング」を行うよう進言した。

 

1日の終わり、就寝前に隊員たちが天幕に集まって「今日はこんなことがあった」と辛い思い、悲しい思い、そして時には楽しい思いもお互いに吐き出して、気持ちを共有する。

 

「今日は○○体のご遺体を回収しました。」という悲しい現実のみが日々続いていくと、心の中に暗い思いが積み上がり、そしてついには精神的に臨界点を超え、そこから先には一歩も踏み出せなくなる。

 

解除ミーティングは、こうした「悲しみの累積」にストップをかけ、直面する現実を忘れることこそできないにせよ、精神的ストレスを一時的に解放し、若い隊員の心の中で悲しみ・苦しみのみが途方もなく膨らんでいくことには一定の効果を示した。

 

陸上自衛隊が最初に「解除ミーティング」を導入したのは、2003年からのイラク派遣の時だった。

 

派遣の目的は「人道復興支援」のはずだったが、いみじくも当時の先崎一元統合幕僚長が「自分が経験した最も有事に近い任務」と語ったように、宿営地となったサマワは限りなく「戦闘地域」に近かった。

 

武装勢力の迫撃砲やロケット弾による宿営地への攻撃が相次ぎ、派遣された隊員は自衛隊史上初めて長期に渡って「戦場ストレス」にさらされることになる。

 

この時に極度の戦場ストレスに対する応急処置として採用されたのが「解除ミーティング」だ。

 

ひと昔前なら「気合で頑張れ!」とか「もっと士気を高めろ!」と言った精神論が横行したかもしれないが、極度のストレスを緩和するには「強さ」を追い求めるのではなく、いかにして「心への圧力を減らすか」ということが重要だと、「本当の戦場(らしきもの?)」での経験を経て、陸上自衛隊は体得していた。

先の見えないドロ沼の戦い

 若い隊員が、多くの人の死と向き合う過酷な任務で「心のバランス」を崩しかけていた頃、ベテラン隊員たちの体調も崩れ始めていた。

 

口内炎、ヘルペス、そして高血圧…、水分を補給せず塩分の高い戦闘用糧食のみを食べ続けたツケが回ってきたのだ。野菜不足でビタミンも足りていない。

 

レンジャー・空挺降下と、自衛隊の中でもとりわけ厳しい訓練課程を経てきた火箱は、普段の訓練でも、それが長く厳しいものになれば、てきめんに生野菜不足が体に効いてくることを経験的によく知っていた。

 

きゅうりの1本でも隊員に食べさせてやりたい…

 

清水からの報告を受け、火箱は宮崎陸幕監察官やメンタルヘルスチームを現地に派遣するとともに、上部(うわべ)陸幕衛生部長、田邊陸幕装備部長に、ビタミン剤、バランス栄養食、…考えられる限りの体調を維持するための補給を指示した。

さらに3月の段階で医師や臨床心理士などで編成される「陸幕メンタルヘルス巡回指導チーム」を現地に派遣するとともに、青森、秋田、山形、朝霞の各駐屯地に「戦力回復センター」を設置し、ベッドや風呂、洗濯機などを用意して、現地派遣部隊がローテーションで休息できるための方策も指示している。

 

 しかしその一方で、3月末には50歳代の曹長が体調不良を訴え死亡した。死因は心筋梗塞。

災害派遣活動における最初の殉職者だった。

 

その後、4月には40歳代の一等陸曹が、5月にも20歳代の三等陸曹が脳溢血などで死亡し、陸上自衛隊はこの災害派遣活動で合計3名の殉職者を出した。10月には連隊長クラスの幹部自衛官に自死者を出している。

 

災害派遣後の防衛省の調査によると、被災地に派遣された陸上自衛隊員の実に約3.3%が「PTSD(外傷後ストレス障害)発症のリスクが高い状態」にあったという。

 

 発災から約10日。圧倒的規模の災害に心身を蝕まれ、すでにその「持久力」に大きな不安を抱えながら、陸上自衛隊は先の見えない、まさにドロ沼のような戦場を突き進もうとしていた。

 

(次回へつづく)

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