• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第32回 軍の将 兵の将(7)

恐怖心からパニックになって逃げた

 清水陸自最先任上級曹長が3回目の現地視察に出発したのは3月も下旬のことだった。目的は原子力災害対処の現状を把握すること。

 

行程は3日間で、福島駐屯地、郡山駐屯地、福島第一原発、原発事故対応拠点となったJビレッジ、そして第1空挺団が展開する南相馬市を回った。

 

陸上自衛隊の原子力災害対処といえば、ヘリや地上からの果敢な放水作業のイメージが今も強く残っている。

 

極めて危険な対処計画を淡々と策定し、実行準備をする火箱陸幕長や宮島俊信CRF(中央即応集団)司令官ら指揮官たちは、内心では隊員たちの被ばくに対し心配しながらも、表面上は組織が動揺しないために、まるで放射能を恐れていないかのような平静な態度を装っている。

 

 しかし現実は、そんな克己心の強い自衛官ばかりではない。あろうことか核・生物・化学兵器の除染作業などを担うスペシャリスト集団である第1特殊武器防護隊所属の三等陸曹が郡山駐屯地から小型トラックを盗んで逃走した。

 

「14日に中央特殊防護隊隊長の岩熊真司1佐らが巻き込まれた福島第一原発3号機の水素爆発に対する恐怖心からパニックになって逃げた。」

 

警務隊に逮捕された三等陸曹は、こう供述している。

あなたは何者ですか?

 専門部隊の隊員ですらパニックになるのだから、一般の隊員の不安は言わずもがな。

 

福島第一原発から直線距離にして約60キロ離れた郡山駐屯地では不安を抱える隊員が急増していた。

 

特に女性自衛官から放射能に対する不安の声が上がっているということで、清水は郡山駐屯地で女性自衛官を集めてのヒアリングを行うことになった。

 

郡山駐屯地に到着すると、官舎もひどく閑散とした雰囲気が漂っている。

 

隊員の若い奥さんらが、「子どもを外で遊ばせたくない」と心配して、外出を控えているせいだ。

 

 会議室には15〜6人の女性自衛官が集められていた。一斉に清水に向けられた冷たい視線が痛かった。

 

東京くんだりから来て何なんですか?陸自最先任か何か知らないけど、あなたは何者なんですか?

 

被ばくに関する憶測やうわさが飛び交う中、普段は穏やかな女性自衛官たちから、冷ややかな言葉が口をつく。

 

「妊娠してもいいんですか?」

 

「結婚してもいいんですか?」

 

「子どもを産んでもいいんですか?」

 

「私は結婚して間もないけど、本当に被ばくしていないか心配です。」

 

彼女たちの不安は尽きないが、放射線の影響のことだけに、何か明確な解決策を提示したり、アドバイスすることはできない。

 

それでも不安なことを全部吐き出させて、少しでも彼女たちの心が軽くなるならと思い、清水はただひたすら聞き役に回った。

 

 地震発生から約2週間。

 

この頃になると最前線の災害派遣部隊だけでなく、後方の隊員たちにも疲弊した空気が漂い始めていた。

鉄板の入った胴長がほしい

 女性自衛官たちのヒアリングを終えた清水が次に向かったのは、ある意味で正反対のメンタリティを持った部隊が展開している南相馬市だった。

 

火箱陸幕長の出身部隊にして、「陸上自衛隊最強」を自負する第1空挺団。隊員の練度も士気も他の部隊とは格段に違う。

 

後方部隊にまで疲労の色が広がっている中で、ここにはまったく疲弊は感じられず、至って士気も高い。

 

むしろ「自分たちは楽な仕事に回されているのではないか?」と、やや力を持て余し気味というのが正確な描写だろうか。

 

 彼らは荒波の打ち寄せる海岸線で、テトラポッドの間を一つ一つ確認して行方不明者の捜索活動を実施している。

 

実際にはかなり危険な作業だが、顔色一つ変えることない。

 

そんな彼らからの要望は至ってシンプルだった。

 

靴底に鉄板の入った胴長を買ってほしい。

 

震災後の津波によってテトラポッドの間は、打ち寄せられたがれきでいっぱいになっている。そのため、ゴム製の胴長ではすぐに側面が破れたり、釘を踏み抜いてしまうのだという。

 

 そんな無骨な市販品はないから、結局は補給統制本部からメーカーに鉄板入りの特注品を発注し、破けた部分を補修するための修理用ゴム資材も合わせて、第1空挺団だけでなく、被災地の各所で水と闘っている部隊に送り届けることになった。

若い世代とこの国の未来

 こうして清水は合計3回の現地視察を終えたが、その後に作成した報告書の中にはこう記されている。

 

 

…特に、陸士は現場で逞しく元気に活動する姿を目の当たりにして、服務指導の問題点として上げられる「個人主義」や「帰属意識の希薄さ」を感じる場面はなく、むしろ気持ちを割り切り「任務」として活動している姿は、陸曹より逞しく今までの認識を改めるべきと感じた。…

 

 

「ゆとり教育」で育った最近の若者たちの無気力なメンタリティは、世の中一般の企業だけでなく、陸上自衛隊でも東日本大震災以前から問題視されていた。

 

しかし清水が未曾有の災害派遣現場で見たのは、飽食の時代に不自由なく育った若者たちが、泣き言一つ言わずに、常に被災者の視点に立って懸命に働く姿だった。

 

いやそれどころか、彼らこそが東日本大震災をきっかけに、陸上自衛隊という組織と日本人の意識を変えさせたのだ、とすら清水には思えた。

 

 悲惨な災害現場で清水が最後に感じたもの、それは「若い世代」と「この国の未来」に対する希望の光とも言うべきものだった。

 

(次回につづく)

 

バックナンバー

ページのTOPへ