• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第33回 大鷲の憂愁 獅子の涙(1)

運命のほつれ

 「今にして思えば…」

 

後になって悔やまれることは人生多々あるが、そのすべてが「決定的な判断ミス」によって生じるわけではない。

 

時には、ほんの些細な「不幸な偶然?」が積み重なって多くの人々が運命に翻弄されることもある。

 

「作戦計画」もまたしかり。ましてやそれが10万人規模の自衛隊員を動かす史上最大の計画であれば、なおさらのことだ。

 

空前絶後の大震災への災害派遣だから、もとより「戦の勝敗」などなく、犠牲者がいる限りどこまで行っても「負け戦」でしかないのだが、それでも「今にして思えば、あの時こうしていればもっと多くの人を救うことができたかもしれない。もっと効率的に迅速に部隊を展開できたかもしれない」という思いは尽きない。

 

火箱芳文陸幕長の出処進退を賭した迅速な指示により、驚異的な早さで被災地に到着した陸上自衛隊だが、そんな秀逸なケースでも、すべての部隊についてその配置や運用が「100点満点」とは言い切れない。あくまでも後になって思えば、だが…

 

ほんの小さな運命のほつれが重なりあって、少しづつ人々の境遇を変えていく。そんな運命のいたずらは、東日本大震災が発生した3月11日にすでに始まっていた。

 

郷土部隊

 2011年3月11日午前。福島市の南西に位置し、陸上自衛隊第44普通科連隊が本拠地とする福島駐屯地は普段にも増して和やかな雰囲気に包まれていた。

 

福島県北部の防衛・警備・災害派遣を担当する第44連隊の部隊章は「44=獅子」の語呂合わせから「天高く吼えるライオン」をあしらっている。

 

その日は連隊に所属する6つの中隊が互いに日頃の「料理の腕」を競う、「炊事競技会」が開かれていた。自衛隊の協力団体なども駐屯地に招かれ、隊員たちの自慢の一品に舌鼓を打ち、賑やかな空気が流れている。

 

そんな他愛もない競技会でも、連隊の最高責任者であり、福島駐屯地司令も兼ねる森脇良尚(よしなお)連隊長には、外部の人を招く以上、不手際などないか、それなりに気を使う催しではある。

 

郷土部隊」という言葉がある。

 

戦前の陸軍では各地域に配置される連隊は、基本的にその地域の出身者によって編成されていた。

 

その土地と人をよく知り、文化、方言、食、…と様々なものを共有している兵士たちが郷土を守る。これによって部隊の団結力は高まるし、地元の人々との意思疎通も図ることができる。

 

このため、各地域の連隊によって、例えば「信州の連隊は冷静だ。」とか「九州の連隊は気が短い。」などと世間からは評され、それぞれの個性が部隊のカラーに反映されることもあった。 

守りたい人がいる

 戦後、陸上自衛隊の時代になって「郷土連隊制」はなくなったが、現在でも駐屯地に勤務する自衛官の大半は地元出身者で占められている。

 

「守りたい人がいる」

 

これは現在の陸上自衛隊のキャッチコピーだが、自らの命を賭しても守りたい人、それは古今東西を問わず、恋人であり、家族であり、その地域の人であることは変わらない。

 

その場所にいて、その土地を守る陸上自衛隊にとってはことさら、「家族愛」や「郷土愛」が使命感の根底にある。

 

自衛隊では、「出世コース」を歩んでいる幹部自衛官ほど任地を転々とする「転勤族」になる。一ヶ所の任期はせいぜい2年間。

 

火箱陸幕長などは、「最も任期が長かったのは約2年半の陸幕長時代」というほど、全国を転々としている。

 

しかしそうであっても、森脇連隊長にとって「福島という第二の郷土」を愛する気持ちは人一倍強かった。福島駐屯地という一国一城を託された以上、自分はこの地に骨を埋める覚悟で赴任している。

 

「郷土部隊」というのは、単に「モチベーションの問題」だけでなく実益もある。それが外敵の侵入であれ、大規模災害であれ、その土地の勝手を知り、地元自治体と常日頃顔を突き合わせてコミュニケーションを取っているか否かは作戦の成否に大きく影響する。

 

緊急事態にあって、土地勘もなければ、その時になって行政の担当者と初対面の挨拶から、ではうまくいくものもいかなくなる。

 

だから森脇も日頃から県庁を訪れ、福島県知事を始め、陸上自衛隊OBである危機対策課の防災専門監などと連携を密にしているし、炊事競技会のような催しも地元の人たちと親密な関係を築くという意味で大切な行事だと思っている。

 

災害派遣を要請してください

 午前中の炊事競技会も無事に終わり、ほっとして連隊長執務室で執務をしていた午後2時46分。運命の時はやってきた。

 

激しく長く続く揺れに、森脇は「ただごとじゃない。」と感じ、執務室のテレビをつけようと近寄ったが、倒れそうになるテレビを抱えたまま立ち尽くした。

 

「連隊長!建物の外に出てください!」

 

福島駐屯地の連隊本部は建物が古いため、倒壊を危惧した部下が森脇に外に退避するよう促した。

 

「状況を把握するために、まずは県庁と災害派遣区域にLO(リエゾン・オフィサー=連絡将校)を出さなくては…」

 

森脇がそんなことを考えながら建物の外に退避していると、第44普通科連隊が所属する第6師団(山形県・神町駐屯地)の久納雄二師団長から電話が入った。

 

「駐屯地は大丈夫か?」

 

「はい、とりあえず連隊本部は大丈夫です。」

 

森脇は師団長に部隊の無事を伝えると、すぐさま県庁の危機対策課の防災専門監に電話をかけた。

 

知事に災害派遣要請を促していただけませんか。

 

それだけを電話口で伝えると、森脇は各所にLOの派遣を指示し、そのまま連隊本部に指揮所を立ち上げた。

浜通りへ!第44連隊主力派遣

 地震発生から約30分後、巨大な津波が押し寄せていることをテレビが報じ始めた。自衛隊のヘリからの情報も入り始めている。

 

森脇は部隊に第三種の非常呼集をかける準備をしていた。

 

陸上自衛隊の服務規則では第一種から第三種まで3段階の「非常呼集」を定めている。

 

最も緊急度の高い第三種の非常呼集は、「真にやむを得ない事情を持つ者以外の所属人員すべて」が対象となる。状況は第三種非常呼集の要件を満たす巨大な災害だった。

 

津波の被害を考えると、最も救助が必要と想定される地域は阿武隈山系の東、海岸線沿いに広がる福島県浜通り

 

普段でも福島駐屯地からは車でゆうに2時間はかかる。地震や津波で道路も寸断されているだろうから、今から出発しても3〜4時間はかかるだろう。

 

現地に到着して、救助活動を始められるのは夜になるのは間違いないな。一刻でも早く部隊を出発させないと…

 

普段から災害派遣の際に持っていく装備は指示してあったが、津波による浸水被害があるとすると他に持っていくべきものは?

 

ゴムボートや小隊が持っている渡河(とか)ボート、円匙(えんぴ)と自衛隊で呼ばれているスコップ、土嚢を作る袋、…森脇は考えられるありったけのものを車両に積み込ませた。

 

地震発生からちょうど2時間後の午後4時46分。日没まで1時間を切り、あたりには冬の夕暮れが迫ってきた頃。

 

第44普通科連隊900名のうち、主力部隊500名弱が浜通りを目指して、小雪の舞う福島駐屯地を出発した。

 

(次回につづく)

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