• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第36回 大鷲の憂愁 獅子の涙(4)

郷土を離れる無念

 あと数時間で長い夜が明ける。朝になれば、群馬県榛東村から第12旅団主力がやってくる。

 

第44普通科連隊主力が展開している福島県浜通りの災害派遣活動は第12旅団に引き継がれることになっていた。

 

第12旅団は福島駐屯地から南に約50キロ離れた郡山駐屯地に集結する。

 

宮城県石巻市への転進を決意した森脇連隊長は、福島駐屯地で夜を徹して引き継ぎの調整作業や明日からの石巻市での準備作業に没頭していた。

 

浜通りに展開した部隊は、この瞬間も老人ホームや小学校などで孤立した人々を避難所へ輸送している。その部隊を一斉に引き上げるわけにはいかない。

 

人員100名弱の中隊単位で第12旅団へ引き継ぎを行い、引き継ぎを終えた中隊から順番に第12旅団の部隊と交代して撤収し、石巻市へ向かうことで、調整はついていた。

 

森脇は現場の部隊に「石巻市への転進」を伝えたが、今も目の前に救うべき被災者がいる自らの隊区を離れ、転進することへの恨み言を口にした者は一人もいなかった。

 

連隊中、津波で家族が被災した隊員は20名弱。東北の隊員はことさらに無口だ。

 

誰も何も言わなくても、家族を失い、傷ついた郷土を離れることへの隊員たちの無念は森脇には痛いほどよく分かった。

 

福島第一原発1号機水素爆発

 12日午前。第12旅団の部隊との引き継ぎ作業が始まった。

 

第44普通科連隊の各中隊が石巻市へ向けて移動を開始するのは午後になるが、森脇は現地での調整のために一足早く昼前に指揮官車のパジェロに乗り込み、通信機器とともに石巻市へ向かった。

 

東北自動車道に入ったが、各所で道路が陥没している。そのたびに一般道に降りては、また高速道路に上がるということを幾度も繰り返した。

 

かれこれ3〜4時間も走った頃だろうか、福島駐屯地から連絡が入った。

 

「福島第一原発で爆発があったとの情報が入りました。」

 

「なに??」

 

あまりに意外な報告に心が一瞬凍りついた。しかし、しばらくすると「さっきの情報は誤報でした」と訂正の連絡が入る。

 

「ああ誤報か。よかった…」

 

ほっとしたのもつかの間、パジェロのラジオからニュースが流れた。

 

「福島第一原発で、何らかの爆発的事象があった…」

 

枝野官房長官の記者会見の様子とともに伝えられたのは、一連の爆発事故の端緒となった1号機原子炉建屋の水素爆発の第一報だった。

 

ここはもう、どんな事があっても、すぐには麻痺しませんよ。

 

以前に聞いた東電担当者の自信ありげな口調が、ふと思い出された。

福島第一、第二原発もまた第44普通科連隊の災害担当区域だったから、防災対策の一環として、森脇も日頃から原発内に入っていた。

 

「やっぱり原発も津波には弱かったのか。なかなかそこは想定しきれないところがあったんだなあ…」

 

それは自分たちが後にした郷土福島が、実は想像だにしない災厄に襲われていることを初めて知った瞬間だった。

 

「石巻市での任務がある程度落ち着いたら、また戻ってきて福島のために働けるのだろうか…」

 

森脇はそんなことを漠と考えながら、寸断された道路を一路石巻市へ向かった。

 

愕然とする光景

福島駐屯地を出発したのは昼前だったが、すでに夕闇があたりを覆っていた。

 

ようやく石巻市に到着した森脇は、眼前に広がっている光景に愕然とした。

 

ここは本当に日本なのだろうか…

 

まるで東南アジアかどこかの見知らぬ国の低湿地帯で災害が起きたかのように一面が冠水して、見渡す限りの水が広がっている。そしてその水面にぽつぽつと2階以上のビルだけが頭を出していた。

 

すでに往時の石巻市の姿はそこになかった。

 

当初の災害派遣計画の想定通りの、いやそれを遥かに上回るかもしれない惨状。自分たちが郷土を離れ、この地に転進しなければならないのも無理からぬことと思えた。

 

連隊の集結する指揮所の予定地は、石巻市の市街地から旧北上川を北側に渡った対岸の「石巻総合運動公園」。石巻市内に入ると集結地に向かう森脇のパジェロの周りに無数の人々が群がった。

 

あそこの2階におじいちゃん、おばあちゃんが取り残されているので助けてもらいたい。

 

部隊主力が到着しなければ自分一人ではどうにもならないが、人々は口々に救助を求めている。

 

この時点ですでに石巻市には、同じ宮城県の多賀城(たがじょう)駐屯地を拠点とする第22普通科連隊の1個中隊が展開していた。

 

多賀城駐屯地もまた津波の被害により冠水し、駐屯地自体は完全に機能不全に陥っていたが、かろうじて1個中隊だけが活動できる状態にあった。

 

しかし石巻市の壊滅的な状況は、たかだか100名弱の一個中隊でカバーしきれるような規模では毛頭ない。

 

圧倒的にマンパワーが不足していた。

あと1日と8時間

 集結地となる石巻総合運動公園に着いた森脇に、2日目の長い夜が訪れた。

 

指揮所を設置すべく通信機器などを立ち上げているうちに、福島県浜通りでの災害派遣活動を第12旅団に引き継いだ最初の中隊が到着し始めた。

 

福島駐屯地から石巻市は東北自動車道で約130キロ。やむを得ないとはいえ、500人規模の連隊主力が転進する移動時間がもどかしかった。

 

夜を徹してさみだれ式に連隊主力を移動させ、最後の中隊の移動が完了し、救助活動の準備が整った頃には、夜もすっかり明けて翌13日の朝を迎えていた。

 

森脇がふと時計に目をやると時刻は午前7時前。

 

ちょうど、あと1日と8時間か…

 

それは被災者の生存率が急激に低下する「72時間」までの残り時間。

 

「これで一体、何ができるんだろうか。」

 

頭からずっと離れないそんな気持ちを最後に振り払って、こう思い直した。

 

1日と8時間あれば、たくさんいろいろな事ができるはずだ。

 

森脇は、異郷の地で全力を尽くす覚悟を新たに、部隊に指示を下し始めた。

 

 

(次回へつづく)

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