• 歴史

東日本大震災が起きてから、日本の歴史が震災という新たな角度で注目されるようになった。

 

M8.0クラスの大震災
富士山の噴火
大飢饉を招いた気候の寒冷化
など

 

かつては「大げさ」の一言で片付けられがちだった古文書の内容が、現実を目の当たりにして笑い事では済まされなくなったからだ。


歴史の記録には、我々の祖先が体験してきた貴重な記憶が詰まっている。

当連載では、それをやさしく紐解くことで、災害の今昔を学んでいきたい。

第十三巻 日本の首都に襲いかかる富士山噴火の脅威~下巻

前回までのお話はコチラ

 

 富士山が最後に噴火した江戸時代の1707年、ときの将軍は犬公方(いぬくぼう)の異名を持つ徳川綱吉だった。

 犬を殺したり傷つけたりした人間は、死刑や流罪などの厳罰に処する――。ご存知「生類憐(あわれ)みの令」という史上最悪の動物保護法を次々に実行した5代目将軍である※1。

 

 彼はなぜ、こんな悪法を作ったのか。

 

「嫡男を亡くし、男児に恵まれないのは、アナタが前世で殺生をした報いです。戌(いぬ)年生まれだから、犬を大切にしましょう」
 一説には、こんな風に高僧からアドバイスされたという話もあるが、実際のところ根拠は薄い。

 

 彼は高貴な理想を抱き、それを江戸城の高見から目指そうとした、迷惑な「机上の名君」であり、それが富士山噴火と重なって結果的に愚策を連発してしまったのだ。

 

※1「生類憐れみの令」とは複数回出された動物保護法の総称となる

 

 

最初は理想主義者だった

 1680年に将軍となった綱吉は、自身の治世を迎えるにあたり、それまでの幕府の姿勢に対して、ある疑問を抱いていた。

 なぜ1615年の大坂夏の陣から65年も経過して戦国時代は終わったのに、いまだに武士たちは町民らを平気で切り捨てたりするのか。もはや軍事優先の社会は終わらせるべきではないか。

 

 綱吉の理想はごもっとも。実際、彼は生類憐み令に先立ち「忠孝」や「夫婦兄弟仲良く」、「下僕やお手伝いさんを大切にする」といった、とてもヒューマニズムな高札(命令が記された板)を全国に掲げた。

 

 しかし、こんなご立派な標語、誰も見向きもしないのは、今も昔も同じこと。

 

 自分のすばらしい考えが庶民に賛同してもらえず、綱吉はいつしかヘソを曲げ、5年後、極端な思考へと陥る。それが初の生類憐れみの令だった。

 

 といっても、当初、この法律はそこまでの悪法ではなかった。
 内容的には、「自分(将軍)が通る道に犬や猫が通っても構わない」とか「幕府の鷹狩りの部署の廃止」など緩やかなもの。

 それが次第にエスカレートし、「馬には重い荷物を運ばせるな」とか「犬がケンカをしていたら、水をかけて引き分けにしてあげなさい」、「野良犬保護のための増税」など、ワケのわからない暴走が止まらなくなってしまう。

 

 そして1707年、富士山が大噴火した。

 

 

この期に及んでも「生類憐れみ」

 溶岩などの直接被害こそ少なかったが、現在の静岡県東部や神奈川県を中心に火山灰が大量に降り注ぎ、農業や林業は壊滅状態。犬や馬や鳥にまで優しい君主ならば、こういったときこそ民への慈しみを見せると思われた。

 

 が、悲しいかな、それは大間違いだった。

 

 綱吉幕府が掲げたのは救済どころか、なんと「自己責任」と「増税」だったのである。

 

『当面の食事は幕府で援助するから春の田植えまでには自力で水田や畑の火山灰を排除せよ』

 

 一応、緊急救援措置は出されたものの、人間への救援金(実際は米で出された)は280文相当。それに対して馬は1匹300文。この期に及んでも「生類憐れみ」が徹底されたのである。

 

 そして、被災地を救うと称して増税を敢行するのだが、あろうことか、その被災地も一律で負担を課したのだから信じがたい。

 この復興税で集まった救済金は49万両。それに対し、幕府が災害対策に使ったのは半分にも満たない19万両だった※2。

 

※2復興資金の19万両は具体的にどう使われたのか? 例えば火口の15キロ東にある須走村(静岡県小山町)の記録がある。ここは3メートルもの火山灰で村ごと埋まったが、1800両の資金を集中投入した結果、火山灰の上に新しい村を1年で作り直すことができたという。1800両という金額が現在価値でいくらになるのかを表すのは難しい。ただ、地方の一農村であるから規模はさほど大きくなく、幕府が費やした19万両という予算では、約100前後の農村を復興させられる計算となる。

 

 

火山灰を処理する「天地返し」とは!?

 噴火から2年後、「壊れた机上の名君」、綱吉は死んだ。彼はなんと遺言にも「生類憐みの令を絶対に守り続けよ」と言い残すほどのご乱心ぶりであった。

 6代目となった家宣(いえのぶ)が、この遺言を無視して、悪法を廃止したことは言うまでもない。

 

 そして1716年になってようやく、火山灰を取り除くための資金が投入され、徐々に復興を果たしていく。

 

 実に十年近く幕府は抜本的な火山灰処理を放置していたわけだが、その間、何も経済対策をしていなかったワケじゃない。

 1710年、1711年に貨幣の金含有量を減らす改鋳を行い、結果的に猛烈なインフレを巻き起こしている。実は財政再建のため、1695年と1706年にも同様の政策を実施しているが、10、11年の2回は富士山噴火が影響していることは間違いないであろう。

 食糧に関しては、被害の最も酷かった神奈川では噴火直後に飢饉も起きていた。が、江戸で際立った被害は確認できていない。この時代は流通網が発達しており、全国からの流入でまかなっていたのだろう。

 

 いずれにしても首都圏の農民たちの前には、火山灰の捨て場という大きな問題が立ちはだかっていた。

 

 これは東日本大震災での震災がれきを想像していただければわかりやすいかもしれない。
 ある村では、「砂捨て場」として水田の15%、畑の20%を潰すことになったという記録も。生産性の低い江戸時代でこれは致命的な面積減である。

 

 そのために編み出されたのが、「天地返し」という土木手法だった。イラストをご覧のとおり、人力で土をひっくり返すという、極めて単純なもの。

 60~70センチの灰が堆積した神奈川県山北町には、現在も天地返しの遺構が残っているが、よくぞ手仕事でこんな荒業ができたものである。

 

 

 いずれ富士山は噴火する。
 そのとき我々が最も懸念すべき問題は火山灰による交通事情であろう。噴煙の規模によっては飛行機も飛べなくなるというが、そのとき国ではいかなる対策を進めていくのだろうか。

 

 奇しくも国家財政がボロボロという点では、江戸も今も変わりない課題を抱えている。

 

 

 

著者紹介
文・恵美嘉樹(えみよしき)
作家。歴史研究の最前線の成果を社会に還元する二人組。
著書に『全国「一の宮」徹底ガイド』(PHP文庫)、『最新日本古代史の謎』(学研)など。

好きな銭は富本銭。 

 

参考文献

井上公夫「元禄地震(1703)と富士山宝永噴火(1707)による土砂災害と復興過程」『歴史地震』2005年
『日本歴史災害事典』(吉川弘文館、2012年)

 

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