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陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第39回 大鷲の憂愁 獅子の涙(7)

オフサイトセンター

 オフサイトセンター=緊急時応急対策拠点施設

 

福島第一原発事故の当時には1日中メディアに取り上げられていた「オフサイトセンター」。

 

それは原子力災害対策特別措置法で定められた拠点施設のこと。

 

原子力災害発生時に起きるさまざまな問題に対し、国、県、市町村、事業者、防災機関、専門家が一堂に会し、情報を共有して指揮の調整を図る。

 

当然ながらそこに集まるメンバーは前もって定められ、非常時には参集する義務がある。

 

3月11日の夜、福島県相双地方振興局県民環境部の高田義宏副部長は津波と地震による地元の被害状況を調査していた。

 

午後8時前。

 

福島第一原発で原子力緊急事態宣言が発出されたとテレビが報じた直後、福島県からオフサイトセンターへ参集するよう連絡が入った。

 

事前の訓練では、自分の上司である相双地方振興局長が「住民安全班長」としてオフサイトセンターへ行くことになっていたが、津波による被害が甚大なことから局長は災害対応の指揮を執らなければならず、危機管理担当の副部長である高田が住民安全班長として参集に応じた。

 

振興局のある南相馬市からオフサイトセンターのある大熊町までは、通常車で40分ぐらいの距離だが、海岸線と平行して走る国道6号線は津波により使えなくなっており、その他の道も陥没や家屋の倒壊でところどころ寸断されている。

 

来た道を後戻りしたり、迂回したりして向かった結果、出発してから約2時間後、午後10時40分ごろに高田住民安全班長はようやくオフサイトセンターに到着した。

参集しないメンバー

 福島第一原発のオフサイトセンターと双葉病院の距離は約1キロ。双葉病院はオフサイトセンターのまさに「目と鼻の先」にある

 

高田班長が到着した時、オフサイトセンターは地震による停電で真っ暗、通信設備も使えない状態だったのでメンバーは隣の原子力センターに集まっていた。

 

原子力センターの中に入ると、すでに警察、消防、自衛隊は到着しており、それぞれ無線を使うなどして情報を集めている。

 

しかし高田班長が率いるべき住民安全班は、大熊町役場から企画課職員が派遣されているのみで、本来参集するはずの他の市町村の職員はいなかった。

 

日頃の訓練では、住民の避難指示案はオフサイトセンターで決定されることになっている。そしてそこには関係市町村の職員が参集しているはずだから、各自治体には自動的にそれぞれ情報が共有されることになっていた。

 

逆に各自治体から上がってくる避難状況の把握についても、同様にオフサイトセンターの各市町村職員が取りまとめすることになっている。

 

しかし参集すべき市町村職員はそこにいない。

 

すでに半径3キロ圏内に避難指示が出されていた。この指示は福島第一原発に最も近い大熊町と双葉町が対象となる。やむなく高田班長は福島県と県内の市町村、消防部局をつなぐ独自の専用無線電話である「防災行政無線専用電話」で各自治体に避難状況の確認を始めた。

 

それはこれまでの訓練にはないオペレーションだから、市町村もオフサイトセンターから電話がかかってくるとは思わないだろう。

 

そもそも「オフサイトセンターと言っても話が通じないかもしれない。」、そう高田班長は思い、わざわざ「福島県の高田です。」と名乗って連絡した。

 

この避難状況の確認作業が終わった頃、オフサイトセンターの非常用電源がようやく立ち上がり、日付が変わった翌12日の午前1時ごろ、メンバーたちは原子力センターから隣のオフサイトセンターへ移動を開始する。

避難指示の連絡がない

 12日の明け方ごろ、住民避難のために国土交通省が手配したバス50〜60台がオフサイトセンター近くの駐車場に到着した。

 

このバスについて、経済産業省からオフサイトセンターに調整の依頼が来ていたから、高田班長は駐車場まで自分で赴き、直接バスの運転手と話して数十台を双葉町へ振り向けさせた。

 

そして午前6時前には、避難指示が10キロ圏内に拡大される。

 

経産省からの連絡を受けた高田班長は、前と同じように防災行政無線専用電話で、大熊町、双葉町、富岡町、浪江町に連絡するが、富岡町と浪江町は話し中でなかなか繋がらない。結局この2町に連絡がついたのは1時間以上過ぎた午前7時30分すぎだった。

 

こうした避難指示の連絡について、震災直後、各自治体は「避難指示について一度も国や県から連絡は来ていない」と口を揃えて言っていたが、実際には連絡はされている。

 

ただオフサイトセンターに参集すべき市町村職員が来なかったがゆえに変則的な伝達手段を取らざるを得ず、そのことが避難指示以外にもさまざまな情報の錯綜の一因になった可能性は否めない。

 

こうした状況について、高田班長はのちにヒアリングでこう述べている。

 

オフサイトセンターから市町村に避難指示を伝達することは事前の訓練では想定されておらず、連絡部署や連絡相手も事前に決まっていない状態だったので、電話に出た人がきちんと役場内のしかるべき上層部にまで伝達していたかどうかは分からない。

 

第12旅団が救助すべきは双葉病院

 12日、大熊町役場が全員撤収した後も、警察と自衛隊はエリアを分担して、避難区域内にある病院などの施設を捜索しては、残されている要介護者の人数を確認していた。

 

だからオフサイトセンターにいる高田班長も、12日に双葉病院とドーヴィル双葉が町役場に「おいてけぼり」にされた時も、双葉病院に人が残っていることは把握している。

 

しかし一方で高田班長は双葉病院の鈴木院長と直接話して、「無理に避難させず院内に残した方がいい」という判断を聞いている。

 

さらに霞が関の経産省本省3階に設置された緊急時対応センター(ERC)の住民安全班からも「重篤な患者は無理に動かすよりもそのままにしておいた方が良い」とのサジェスチョンを受けていた。

 

こうしたことから12日時点ではオフサイトセンターとして双葉病院に何らかの対策を取ることはなかった。

 

しかし13日になってもオフサイトセンターの近隣に住民が残っているとの通報があり、双葉警察署の警察官や双葉広域消防の消防官が置き去りになった住民の救援活動を行っていた。

 

高田班長はオフサイトセンターに詰めている自衛官にも避難支援の要請をしたが、「部隊が異なるのでできない」と拒否される。

 

どうもオフサイトセンターにいる部隊は福島第一原発のプラント回りの対策のために派遣されているようで、らちがあかない。

 

やむなく高田班長は福島県庁に設置されている県の災害対策本部に電話をかけた。

 

県災害対策本部経由で自衛隊へ避難支援要請を行ってもらえませんか。

 

この電話を受けた福島県災害対策本部は、13日午後1時40分ごろ、同本部に派遣されていた陸上自衛隊のLO(リエゾン・オフィサー=連絡将校)に対して、救助・搬送を要請した。

 

すでに双葉病院が電気・水道・ガスといったライフラインを失ってから72時間近くが経過しているわけだが、これが「第12旅団が救助すべき対象は双葉病院」というミッションが初めて明確になった瞬間だった。

自分たちの業務ではない

 そしてこのオフサイトセンターからの1本の電話をきっかけに、福島県災害対策本部では驚くべき事態が発覚していた。

 

福島県の地域防災計画では、「被災住民の避難」に関することは災害対策本部の「住民避難・安全班」が対応することになっているが、「避難所等の開設、運営」および「災害時要介護者対策」に関することは「救援班」が対応することになっている。

 

だから双葉病院から重症患者を搬送するとすれば、救助や収容先の手配をするのは当然ながら「救援班」の仕事になるはずだが、当の救援班には、それが自分たちの仕事だという認識はまったくなかったのだ。

 

ことのあらましは、のちに「住民避難・安全班」の副班長だった人物に対する氏名非公開でのヒアリングに記されている。

 

この副班長によれば当時、住民避難・安全班は市町村からの要望に応じて輸送のためのバスを調整したり、避難のための経路を教示するなどの業務に携わっていた。

 

それが途中から、住民避難・安全班が、県有施設を中心に避難所の調整も行い始めてる。その理由はなぜか伏せられているが、めちゃくちゃな状況の中で移送手段の確保と移送先の選定は一括してやった方が効率的だとでもなったのだろうか…

 

しかし副班長はさすがに「災害時要介護者対策は別だ」と考えていた。

 

…ただし災害時要介護者対策は救援班の業務であり、病人を体育館に避難させるわけにもいかないので、病人の避難先調整は、住民避難・安全班では引き取らなかった。

 

「救援班」という名前が付いているのだから、地震や津波などの被害に対するけが人や病人の「救援」はしていたのだろうが、「原発事故による住民避難」という想定外の事象が発生したため、住民避難にともなって、その区域内に元々いる要介護者の収容先を手配しなければいけないという部分が、ごっそり抜け落ちてしまったのか…

 

このミスにより、副班長がいみじくもヒアリングで語った「病人を体育館に避難させるわけにもいかないので…」という懸念が、現実のものになってしまう。

 

この救援班の間違った認識は、その後、「決定的」とも思える重さを持って事態を悪化させていった。

 

(次回につづく)

 

 

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