• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第40回 大鷲の憂愁 獅子の涙(8)

ピストン輸送

 オフサイトセンターからの救援要請の電話により、福島県災害対策本部内では「これはどこの担当だ?」という会話にでもなったのだろう。

 

半径10キロ圏内への避難指示が出されてから24時間以上が経過したその段階で、「自分たちの仕事」と初めて認識した救援班は、半径20キロ圏内の病院と残留者のリストを作り始め、このリストをもとにスクリーニング場所や受け入れ先の調整を始めた。

 

情報が極度に錯綜する中でのリスト作成は、13日の日中いっぱいかかり、完成したのは夜10時近く。すでに地震発生から48時間以上経過しているから、どこの病院もいっぱいで受け入れ先は見つからない。

 

そして混乱を極める県災害対策本部の中で、さらなる不幸な行き違いが発生した。

 

作成されていくリストを見るにつけ、救助の必要がある病院と患者が多数におよぶ一方で、自衛隊が有する搬送車両には限りがある。一方で避難区域からの患者受け入れを了承した病院は、放射能汚染を恐れているため、事前に別の場所でスクリーニングを行うことを受け入れの条件にしていた。

 

救助先の病院から、いったんスクリーニング場所に搬送して、患者を降ろしてスクリーニングを終えてから、もう一度患者を乗せて収容先に自衛隊車両が向かうのは非効率的だ。

 

だから第12旅団のLOは災害対策本部にピストン輸送を提案した。

 

救助先の病院からスクリーニング場所までの搬送を自衛隊が行なうので、スクリーニング場所から避難所までの搬送は県災害対策本部で調整してもらいたい。

 

スクリーニング場所は避難区域外の安全な場所に設置されるから、危険な区域を自衛隊が担当してピストン輸送し、安全な区域は県が担当する。ピストン輸送することで時間の節約にもなる。一見、極めて合理的な提案に見える。

 

県災害対策本部は、この申し出を了承してスクリーニング場所からの搬送について民間バスを借り上げるなどの手配を行なった。

 

これが次の大きな不幸を生んだ瞬間だった。

届かない情報

 双葉病院は、チューブで繋がれた重症の寝たきりの患者を多く抱えている。

 

そんな重症患者が車両を乗り換えることなど到底できない。

 

と県災害対策本部は陸自LOの提案を言下に拒否するべきだった。

 

と言うか、そもそも大型バスなどで搬送できる状態ですらない。本来であれば12日に双葉厚生病院で行ったように、第1ヘリコプター団や第12ヘリコプター隊のCH-47チヌークを使って空輸するか、膨大な数の救急車を使ってピストン輸送を繰り返すかしか方法はなかった。

 

この日(13日)も双葉警察署は引き続き管内に残っている住民の把握・避難誘導活動を行なっていた。

 

そして夕方には、双葉病院に鈴木院長と患者が残されていることを把握し、警察署長自らが双葉病院に向かうとともに、県警災害警備本部に、多数の寝たきり患者が双葉病院に残されていることを報告している。

 

県警災害警備本部は、県災害対策本部に派遣した警察リエゾンを通じてこの情報を伝え、救助や搬送の調整を求めた。

 

しかしこうした情報は県災害対策本部の「救援班」までは届いたが、またなぜかそこでストップして、「搬送する対象は寝たきりの重症患者」という極めて重要な情報が県災害対策本部として共有されることはなかった。

 

当然ながら第12旅団もこうした情報は伝えられていないし、県災害対策本部としても認識していないから、「ピストン輸送」の提案がなされ、それが了承されている。

 

こうした状況の中で、県災害対策本部はついに致命的とも言える判断に至る。

 

双葉病院は精神科の病院だから、体力的に問題のある患者は少ないだろう。」

 

そして唯一受け入れを要請に応じてくれた、しかし、医師はおろか医療スタッフが一人もおらず、医療設備もまったくない普通の高校、「いわき光洋高校」を双葉病院の収容先として選定した。

自衛隊バスで搬送予定

 一方で救助要請を受けた第12旅団も出動に手間取っていた。

 

県災害対策本部から出動要請があったのが午後1時40分。そして実際に第12旅団輸送支援隊が郡山駐屯地を出発したのは、翌14日の午前0時ごろ。

 

実に要請から約10時間を費やしている。

 

この遅れの理由について、第12旅団司令部はのちにヒアリングでこう答えている。

 

双葉病院からの救助にあたり、東北方面総監部と連携して実施することを考えたが結局連絡が取れず、第12旅団輸送支援隊のみで対応することを決めた。

 

今となっては第12旅団が東北方面総監部に対して具体的にどういう連携を求めたかったのかは知る由もないが、前日にオフサイトセンターを目指して輸送支援隊が向かったにもかかわらず、1号機の水素爆発を受けて、途中で郡山駐屯地に帰投していることを考えると、放射能汚染の危険性が高い避難指示区域内に隊員を突入させることについて、装備や行動基準などについてさまざまなコンセンサスを総監部と共有し、準備をしたかったのだろうか…

 

第12旅団が出動要請を受ける少し前の午後1時から、大熊町のオフサイトセンターでは、池田元久経産省副大臣を本部長とする全体会議が開催されていた。

 

高田住民安全班長は、その会議資料の中に、「老健施設ドーヴィル双葉100人および双葉病院81人であり、自衛隊バスで搬送予定」との記載があるのを見つけた。

 

「やはり避難させることにしたのか…」

 

前日に鈴木院長から「無理に避難させずに院内に残した方がいい」との判断を聞いていただけに、高田班長はそうした感想を持った。

最初の犠牲者

 ちなみに「自衛隊バス」とあるが、通常、陸上自衛隊にはトラックなどはあるが、そんなに多くの患者を運べるような、いわゆる「観光バス」みたいな大型バスはない。

 

もしそんなバスがあるとすれば、唯一、音楽隊が演奏会などのために使っているバス。大型バスを調達するとすれば、音楽隊のバスを持ってこさせるか、音楽隊の隊員を派遣する必要がある。

 

こうした細かい車両の調達なども、出動に手間取っていた原因の一つだったのかもしれない。

 

時は刻一刻と過ぎていき、第12旅団司令部が東北方面総監部との連携に見切りをつけ、旅団輸送支援隊が大型バス3台、マイクロバス6台の編制で双葉病院へ向けて郡山駐屯地を出発したのは14日午前0時。

 

さまざまな要素が絡みあって13日丸一日がタイムロスとなっている一方で、ライフラインが止まってからはや3晩目を迎える双葉病院の患者は、すでに体力の限界を超えていた。

 

救援の手が双葉病院に到着する前、13日の夜から14日未明にかけて3名の患者が帰らぬ人となった。

 

(次回につづく)

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