• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第43回 大鷲の憂愁 獅子の涙(11)

バスの中は地獄絵図

 14日午後8時すぎ。

 

ついに第12旅団輸送支援隊のバスが、いわき光洋高校にその姿を現す。

双葉病院を午前10時半に出発してから、すでに10時間近くが経過していた。

 

田代校長がバスに入ると、中は異臭が立ち込めている。

 

バスの床に転げ落ちたままの人、毛布に包まりまったく動かせない人、オムツが外れ排泄物を垂れ流しにしている人…

 

それは言葉で表せないほどに凄惨な様子だった。

  

バスには自衛隊の医官も、病院関係者もおらず、避難患者のリストすらない。病院関係者が一人も付き添いしていないことを知り、田代校長は非常な怒りを覚えた。

 

受け入れてあげたい気持ちはやまやまだが、こんな状態の患者を医療体制のまったくない高校の体育館に寝かせても死なせてしまうだけだ…

 

バスが到着する少し前に高校に戻ってきたいわき開成病院の職員が第12旅団輸送支援隊の隊長に必死で哀願している。

 

いわき開成病院は廊下まで患者が溢れていて、とても受け入れられる状態ではないこと。そして県障がい福祉課の菅野主査から県立医科大付属病院に向かうよう伝えて欲しいと依頼されたこと。

 

それらを縷々説明して、隊長に県立医科大付属病院に向かって欲しいと頼み込んでいる。

 

身勝手な保健所職員

 田代校長はその会話をかたわらでずっと聞いていたが、いわき開成病院の職員も第12旅団輸送支援隊長も田代校長も、皆がこの状況をどう打開しようかと必死に解決策を模索している最中に、スクリーニング会場だった相双保健所から道案内として同行してきた保健所職員だけが、身勝手なことをずっとしゃべっている。

 

「相双保健所長に騙された。私は道案内をお願いされただけなのに…」

 

そんな発言に最初は田代校長も我慢していたが、保健所職員の患者を無視した発言が延々続くことに業を煮やし、ついに叱りつけた。

 

「後でしかるべき者が責任を取るんだから、今は目の前の状況についてどう対処するか考えることが大事だろう。あんた公務員だろう!」

 

それでも保健所職員は態度を改めようとはしない。

 

「黙ってろ!」

 

ついに第12旅団輸送支援隊の隊長が怒鳴りつけて、ようやく保健所職員はおとなしくなった。

 

 

「この人はダメだ…」

 

田代校長は思った。

南会津町からDMATが救援に

「このままここにおいても患者が死んでしまう。」

 

いわき開成病院の職員は隊長に必死に食い下がるが、隊長とておいそれとその依頼を引き受けられない。

 

「上官からの命令がない。上官からの命令がないと動けない。それに福島に向かう燃料が確保できない。」

 

隊長はそう言いながらも、無線で何回も連絡を取っている。どうやら県立医科大付属病院へ向かう旨の命令が発出されていないか、第12旅団司令部に確認を取っているようだった。

 

「やはり命令がない。」

 

搬送先変更の命令は第12旅団司令部にも届いていないようだった。

 

田代校長も県学校経営支援課の阿部主任に連絡を取ったが、いわき市内の病院はどこも避難した患者でいっぱいで、双葉病院の患者を収容できるところはない。

 

事態は八方ふさがりの様相を呈していたが、いわき開成病院職員が県障がい福祉課の菅野主査と電話で話し合い、ついに打開策が見つかった。

 

それは福島県立南会津病院からDMAT(災害派遣医療チーム)をいわき光洋高校に派遣するので、いわき光洋高校で双葉病院の患者を受け入れるという案。

 

ただし南会津病院のある南会津町は同じ福島県とはいえ、いわき市から西に約150キロも離れており、普段でも車で2時間以上かかる。だからDMATが到着するまでの間、ワンポイントリリーフとして、いわき開成病院から医師をいわき光洋高校に派遣するという折衷案だ。

 

いわき開成病院の職員は、「すぐに戻ってくるので、一度いわき開成病院に戻って医者を連れてくる。」と言い残して、急いでいわき開成病院へ車で戻って行った。

搬送作業開始

 しかしこの段階に至っても、県災害対策本部と第12旅団司令部の間は情報が錯綜している。いわき開成病院職員が病院に戻った直後、第12旅団輸送支援隊の隊長は司令部から、いわき開成病院が受け入れることになった旨の連絡を受ける。

 

隊長は一方で、高校にいたいわき開成病院職員から、病院がどういう状態でこれ以上の患者の受け入れができないか詳細に聞いていたので、半信半疑ながらも「上官の命令」ということで、いわき光洋高校から市内のいわき開成病院に向けて再び出発していった。

 

そして約1時間後。

 

結局第12旅団輸送支援隊は患者を乗せたまま、また高校に戻ってくる。

 

いわき光洋高校が最終的な受け入れ先と決定し、輸送支援隊、田代校長、鈴木事務長、そしていわき開成病院から事務職員が連れてきた医師ら4名でバスから患者の搬出を始めた時には、すでに午後9時半を回っていた。

 

バスが戻ってくるのとほぼ同時に、救援要請を受けたいわき地方振興局職員2名が毛布と食料(水、おにぎり2000個)を携えて高校に現れた。振興局職員も患者の搬出を手伝ってくれた。

 

保健室のストレッチャーやキャスター付きの机を使ってバスから患者を体育館に運び込み、ブルーシートや畳の上に敷布団代わりに毛布を1枚敷き、その上に患者を寝かせて、もう1枚毛布をかけた。

 

毛布の数もギリギリだった。

 

その場に居あわせたすべての人間が無我夢中で、汚物にまみれ息も絶え絶えになっている患者を運んでいる最中も、相双保健所から同行した職員だけが手を貸さない。

 

搬送作業が始まってしばらくしてから、彼は田代校長にこう言った。

 

「私の役目は道案内だけなので、タクシーを呼んで帰る。電話を貸してほしい。」

 

職員は田代校長から学校の電話を借り、混乱のるつぼと化したいわき光洋高校から、タクシーに乗って一人帰っていった…

 

 

(次回へつづく)

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