• 歴史

東日本大震災が起きてから、日本の歴史が震災という新たな角度で注目されるようになった。

 

M8.0クラスの大震災
富士山の噴火
大飢饉を招いた気候の寒冷化
など

 

かつては「大げさ」の一言で片付けられがちだった古文書の内容が、現実を目の当たりにして笑い事では済まされなくなったからだ。


歴史の記録には、我々の祖先が体験してきた貴重な記憶が詰まっている。

当連載では、それをやさしく紐解くことで、災害の今昔を学んでいきたい。

第十五巻 思惑だらけの「風評」が江戸時代を駆け巡る

 東日本大震災の後、Twitter上で虚偽の避難情報が流されたり、東北各地で幽霊の目撃情報が語られるなど、多くの虚説やデマが流れたことをご存知だろうか。

 現在も続いている放射能の風評被害もその一つであろう。福島を中心とした被災地の食品に疑心を抱いている人は、まだまだ多数と思われる。


 こうした風評被害は、決して『無法地帯なネット』が悪いということではない。


 たとえば大正時代の関東大震災のときにも、大手の新聞社が数多の誤報を紙上で発表しており、もっと遡れば江戸時代にも存在した。いつの時代も、非常時の人間は冷静ではいられず、またそうした人の口に戸も立てられないのである。


 災害とは直接関係ないが、江戸時代には『ソバは食あたりする』という根も葉もない噂が流れ、多数の店舗が閉店に追い込まれるという風評被害が発生したことが、江戸経済史家の鈴木浩三氏によって明らかにされている。


 今回は、同氏の研究を参考にして、江戸時代に起きた元禄地震と、その風評問題に焦点を当ててみたい。

 

 

 

放っておけば一揆が起きる危険性も

 元禄地震が起きたのは1703年のことだ。関東地方を襲ったM8.0クラスの大地震で、津波や家屋の倒壊などによる死者はおよそ1万人にのぼる大災害だった。

 

 当時の将軍は、第十三巻の富士山噴火でも触れた徳川綱吉である。
 犬をはじめとした動物類を異常なまでに保護した「生類憐れみの令」で最悪の評判だった綱吉だけに、元禄地震が起きたあとは、すぐさま「地震の原因は幕府の誤った政治である」という悪評が広がった。

 

 噂の伝播力は非常に強く、これには幕府もマズイと思ったのだろう。地震の5日後には風評を流すことを禁ずる法令を出し、庶民の批判を封じ込めようとした。


 が、そんなことで収まるほど、江戸っ子たちの口も重くはない。今度はさらに踏み込んだ、幕府の政権批判が広まった。

 

『江戸では金星が見えなかったが、それは将軍の悪政のためである。将軍生母の桂昌院に従一位という破格の位を朝廷から無理に贈らせたことは天の道理に反するものである。その証拠に、桂昌院の屋敷ほど死者が多かった場所はない」(訳文は鈴木氏『江戸の風評被害』から)

 

 よほど犬公方の綱吉は恨まれていたのだろう。庶民たちは、彼の母親を引き合いに出してまで、現将軍に対する不満を述べたのである。

 

 また、このときは大地震の後に長く余震が続いたため、庶民たちの恐怖が極限にまで達し、「夜中に怪物が空を飛ぶ」などというトンデモナイ怪奇風聞まで流れていた。

 

 現代なら小学生でも驚かない、バカげた噂である。

 が、幕府はことのほか大マジメに対応。怪物が出ないよう寺に依頼をして加持祈祷をさせたのである。

 

 政権への批判を封じ込めるために風評禁止令を出したり、そうかと思ったら庶民の機嫌を取るように加持祈祷をしたり。

 単なる噂話に江戸幕府が右往左往させられるには理由があった。積もり積もった不満が爆発し、町民や農民たちに「一揆」などの暴動を起こされるのを本気で恐れていたのである。

 

 

 

災害情報には大金が積まれた

 風評でポイントとなるのは、情報伝達の速度である。TwitterやSNSがなくても、江戸時代は、この速度がかなりのレベルだった。


 たとえば江戸城内で起きたことは、その日のうちに市中へ広がるほど。噂話が拡散していくだけのネットワークが整っていたのである。なぜか?

 

 その背景にあったのは「贈答品文化」と「市場主義化された高度な経済システム」であった。

 

 戦争がなくなり、江戸城に詰める全国大名の部下たちは、幕府の人事情報などを集めることが仕事になる。出世組に顔が利けば、何かと便宜をはかってもらえるのは今も昔も同じ。言わば霞ヶ関の高級官僚を官官接待する地方の役人みたいなものだ。
 そのために賄賂として美術品を贈ったり、料亭のような場所で密会をしたり。彼らは情報を集めるためにあらゆる手段を使った。

 

 また、商業面においては、江戸と大坂を中心に貨幣経済が発展したばかりか、米の先物取引など、現代の株式投資も真っ青なレベルの高い投資が行われていた。

 

 こうした環境の中で、政策やカネがダイレクトに動く災害は、まさに値千金の情報となったのである。

 

 たとえば稲作の一大生産地が大地震にでも遭えば出荷量が落ちるため米取引は急騰する。江戸が大火事にでも見舞われれば再建に大量の木材が必要となるため、その相場も高騰は必至。誰よりも早くその情報を掴んでいれば、それだけで大金を稼げるのである。

 

 そのためだろう。江戸の地震発生情報は、京都や大坂の商人のもとにわずか4日で届けられたという記録がある。
 江戸~大坂間が4日間というのは特別便の早飛脚(人力の郵便システム)を発注したことを意味し、この料金は4両2分という大金。まさに値千金の情報だった※1。ほかにも青森の弘前藩には9日後、九州の熊本藩にも11日後という速さで到達したという話も残っているほどだ。

 

 

 ※1 4両2分は現在のお金で数十万円などと計算されることが多いが、江戸時代は物価の変動が激しく、物に対する価値観も今と違うため、正確には算出できない。ただ、大金であったことは間違いない

 

 

 

お金に敏感だったからこそ…

 最後に、江戸時代の商売人がお金に敏感だったからこそ流されたと思われる風評を2つ紹介しよう。

 

 1つは「貨幣改鋳が行われる」というものだ。この噂話は、元禄地震とは関係なく、しょっちゅう流されていたという。

 

 実際、徳川政権は財政が悪化するたびに貨幣の金銀保有割合を落とし、その分、通貨発行量を増やして幕府の赤字を補填していた。こんなムチャな政策が一時しのぎであることは庶民も重々承知しており、そのたびに極度なインフレになるため、普段から警戒していたという。

 

 もちろんそれは「生活が苦しくなる」という庶民の恨み節も込められていたであろうし、また、一攫千金を狙う先物取引の商売人には、格好のチャンスでもあった。

 おそらくその情報を誰よりも早く入手した者は、手元の現金を米などの商品相場に投資していたであろう。貨幣改鋳によってお金の価値が下がると、相対的に商品の価値が上がる。そして値段が高騰しきったところで売り抜ける、濡れ手に粟の商売だ(が、もちろんウソであれば、大損することになる)。

 

 

 もう1つの風評は、元禄地震の後、商人たちに向かって流されたものである。詳細は不明であるが、それはおおむね次のような内容だった。

 

『元禄地震の予知を的中させた人物がいる。その預言者が、「次はもっとデカい揺れがすぐに来るから、商人たちは現金を持って逃げた方がいい」と言っている』

 

 大地震の後だっただけに商人たちもこれを信じ、商品を投げ売りしたという。

 

 なんとも粋で痛快な話ではないか。

 これは単なる私の勘だが、噂を流し、百戦錬磨の商人たちを手玉に取った人物は、日頃から彼らに一泡吹かせたいと考えていたに違いない。

 なぜなら当時の商売人たちは、客に嫌われることも全く意に介さず、【地震にかこつけて商品の値を吊り上げ】たはず。そんな連中を噂話で巧みに操って、庶民たちにいい思いをさせたのだ。これを痛快と言わずして何と言おう。

 

 もしかしたら、噂を流した人物が安売り商品を買い占め、後日、正規の値段で庶民に売りつけたかもしれないって?

 そこまで計算尽くな”越後屋”がいたら、もはや庶民が何をしたってお手上げだろう。

 

 

 

著者紹介
文・恵美嘉樹(えみよしき)
作家。歴史研究の最前線の成果を社会に還元する二人組。
著書に『全国「一の宮」徹底ガイド』(PHP文庫)、『最新日本古代史の謎』(学研)など。

好きな街道は恋に疲れた人間が行く北陸道。

 

参考文献
鈴木浩三『江戸の風評被害』筑摩選書
北原糸子『近世災害情報論』塙書房

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