• 歴史

東日本大震災が起きてから、日本の歴史が震災という新たな角度で注目されるようになった。

 

M8.0クラスの大震災
富士山の噴火
大飢饉を招いた気候の寒冷化
など

 

かつては「大げさ」の一言で片付けられがちだった古文書の内容が、現実を目の当たりにして笑い事では済まされなくなったからだ。


歴史の記録には、我々の祖先が体験してきた貴重な記憶が詰まっている。

当連載では、それをやさしく紐解くことで、災害の今昔を学んでいきたい。

第十六巻 火山灰の中から現れた古墳時代の集落

 今から約2000年前の西暦79年、古代ローマでヴェスヴィオ火山が大噴火を起こした。
 一昼夜にわたって降り続いた火山灰と火砕流は、近隣の街を覆いつくし、当時の荘厳な建造物も美術品も人々もすべて地中へ…。

 

 それから約1700年後。長い眠りについたタイムカプセルは、発掘によって目を覚ます。

 かの有名なポンペイ遺跡である。

 

 イタリア南部に位置するこの遺跡は、当時1万人以上が暮らしていたと目される大都市で、住居跡や劇場、公衆浴場、下水道など、火山灰の下には多くの建造物や美術品が良好な状態のまま残されていた。
 そこで暮らしていた人々は火砕流で即死した後、火山灰に埋もれ、遺体の部分だけが空洞となって後世まで残り、その穴へ考古学者たちが石膏を流し込むことによって、多くの人型模型が復元されている。その姿、あまりに生々しいため、一度見たら二度と忘れられないであろう。

 

 世界文化遺産にも登録された悲劇の街ポンペイ――。

 まさに世界に2つとない神話のごとき話であるが、実は日本でも似たような「タイムカプセル」が見つかっているのをご存知だろうか。

 

 群馬県の黒井峯遺跡をはじめとする、榛名山(はるなさん)周辺の遺跡郡だ。

 

 

 

夏冬用の住居の他に家畜小屋や酒造用の建物まで

 今から約1500年前の6世紀頃。現在も活火山として気象庁に認定されている榛名山が、大噴火を起こした。


 火山口から降り注いだ軽石※1や火山灰は、辺り一帯の集落を数メートルの高さで埋め尽くすほど。この悲劇は、しかし日本の考古学者にとっては格好の研究材料となった。
 数メートルもの堆積物を掘り起こした結果、古墳時代の新事実が次々と見つかったのである。

 

 住居跡や水田、畑、祭祀跡。辺り一帯の軽石や火山灰を丁寧に取り除いていくと、まるでポンペイのごとく、昨日まで人が住んでいたかのような生活環境が浮かび上がり、当時の暮らしぶりが細部に至るまで判明した。

 

 たとえば、住居は夏用と冬用で使い分けられていた。冬は、社会の教科書でもおなじみの「竪穴住居」で、防寒のため1メートル以上の穴が掘られており、天井には屋根を設置。
 寒さからの断熱効果に優れていた反面、暑さには弱いようで、夏季には、単に壁で仕切っただけの「平地式住居」が使われていた。生活スタイルを変えることで四季に適応するという、古代人の知恵である。
 黒井峯遺跡では平地式住居にのみ生活の痕跡が残されていたことから、この噴火がおそらく夏季であったこともわかった。

 

 その他、動物たちによって床面が踏み慣らされていた家畜小屋が見つかったり、酒造り専用の建物なんてものまで発掘。
 柵で仕切られていた広大な畑も確認されており、当時から収穫物を盗もうとする泥棒や野生動物を警戒していたことをうかがわせた。

 

 そして去年の秋には、同遺跡群からTVニュースにもなった最大の発見がなされる。甲冑を装着したままの人骨や、乳児の頭骨が金井東裏遺跡で見つかったのだ。
 火山灰の中から人骨が出土することも、この時代の甲冑姿の人骨が見つかるのも全国初。湿気や風雨などから隔離された密閉空間だからこそ保存状態が良く、歴史研究に多くの新発見をもたらしたのである。

 

 まさにポンペイ遺跡と瓜二つの状況だった。

 

 

※1溶岩が急冷した際にガスが噴出してできた石

 

 

 

火山灰の中から生活用品を掘り起こすたくましさ

 榛名山の遺跡群は、歴史学者にとっては幸運でも、当時の人々には当然ながら最悪の天災だった。
 この地に住んでいた人々は、一体どうなってしまったのだろう。ポンペイのように一瞬で命を奪われてしまったのか。

 

 結論から述べると、幸いにも人的被害は少なかったと考えられている。

 

 榛名山からの噴出物は、わずか1日で数メートルが堆積するほど大規模かつ急激だった。
 が、遺跡群のひとつ西組遺跡では、建物跡から生活器具がほとんど見つからなかったのである。

 

 これはどういうことか?

 

 いったん避難した人々は、噴火がおさまると集落に戻り、家財を持ち出したのではないか、というたくましい姿が推測されているのだ。その証拠に、噴出物やガレキを取り除き、住居の屋根に穴を開け、そこから器具を搬出した痕跡が見つかっている。

 

 人的被害が少なかったことを示す証拠はほかにもある。
 黒井峯遺跡の近くにある古墳を調査したところ、噴火後にも死者が追葬されていることが判明。難を逃れた人々が、埋もれた墓を掘り出し、そこへ新たな遺体を埋葬していた。

 

 たしかに一瞬で村は消えてしまったが、二度と近寄れないほどの惨事ではない。そう考えた方が自然な現象が多々見られるのである。

 

 むろん、だからといって、復興までの道のりは簡単ではなかった。
 この一帯に、再び人が住みだしたのは、噴火からおよそ200年後の奈良時代のこと。彼らが元々の住民の子孫かどうかは不明である。

 

 

 噴火当時、榛名山の周辺に住んでいた地元民たちは、避難民としていったん村を出て、近くの親類縁者のところへ移住した可能性が高い。
 もともとこの地域は渡来人とよばれる中国・朝鮮系の人々が多く、祖先を同じとする仲間が点在していたため、引越しもさほど苦ではなかったハズだ。

 今も昔も、いざというとき最も頼りになるのは、近くの他人ではなく、ちょっと遠くの?親戚なのかもしれない。

 

 

 

 著者紹介
文・恵美嘉樹(えみよしき)
作家。歴史研究の最前線の成果を社会に還元する二人組。
著書に『全国「一の宮」徹底ガイド』(PHP文庫)、『最新日本古代史の謎』(学研)など。

好きな埴輪は力士埴輪。

 

参考文献

斎藤聡「榛名山二ッ岳の噴火」(『古代の災害復興と考古学』高志書院)

右島和夫『列島の考古学 古墳時代』(河出書房新社)

若狭徹『ビジュアル版 古墳時代ガイドブック』(新泉社)

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