• 東日本大震災

陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第51回 大鷲の憂愁 獅子の涙(19)

全般作戦計画の策定

 3月29日から4月3日までの3回の現地視察によって、「果てしない戦い」に終止符を打つために何をしなければならないのか、火箱は解決しなければならない課題を明確にすることができたと感じた。

 

大切なのは「緊急事態対処の連続」の中で、このタイミングまでなおざりにされてきた「全般作戦計画の策定」に着手させること。

 

本当に他国と戦争するような事態では当然のこと、戦闘の長期化が予想される場合、自衛隊は「全般作戦計画」を立案し、その目標を明示して初動から戦闘終結までの、いわば全体を俯瞰する計画をベースに個々の作戦を立案・実行する。

 

これほどまでに大規模な災害派遣活動になれば、この全般作戦計画がないと「いつを持って被災地から撤収するのか?」を決めることができない。

 

しかし火箱は、「全般作戦計画」を立案するにあたっては、その前に明確にしておかなければならない重要な作戦があると感じていた。

 

それは、第12旅団に「本来の任務」を遂行させること。

 

原発周辺の行方不明者捜索活動

 双葉病院を始め、死に物狂いで原発事故による避難区域からの避難誘導を行なっていた第12旅団だが、他の部隊が他の場所で当たり前のように行っている、いわば「主たる任務」が、ほとんど手付かずのまま、発災から20日以上経った現在も残されていた。

 

行方不明者の捜索活動

 

福島第一原発から30キロ圏内は立ち入り規制区域で、20キロ圏内は政府が全住民を避難させている。そうなっている以上、警察も消防も自衛隊もその中に立ち入ることはできない。

 

菅直人総理率いる官邸も、それに引きずられるように市ヶ谷の統合幕僚監部も、そこに20日以上も行方不明者が放置されていることを忘れたかのように、「福島第一原発事故対処」に奔走している。

 

4月3日に第12旅団を視察した後に、火箱は福島県庁に佐藤雄平知事を訪ねているが、福島県知事ですら「行方不明者の捜索」よりも「原発事故による風評被害」を懸念していた。

 

すでに発災から1か月近くが経ち、生存可能性はほぼゼロに近いのだろうが、それでもそこに犠牲者の遺体が放置されたままになっているのは見過ごしにはできない。

 

あと1ヶ月半もすれば梅雨に入り、その後には夏が待っている。

 

そうなれば遺体がどんな状態になるか、それを目の当たりにする遺族の心痛はいかばかりか、そして真夏の炎天下の中、タイベックスーツを着用して高放射線量の中、遺体を捜索する隊員はどれほどの負荷と危険に苛まれるか…

 

火箱にはリアルにその光景が想像できた。

 

 

規制区域の放射線量測定

 他の被災地では、ガレキを撤去してきれいに整地しながら何度も何度も行方不明者の捜索を行ない、地上や、時にはヘリにより上空から自治体の首長や町会長、地元住民などに確認してもらい、ようやく「作業完了」を納得してもらっている。

 

そのプロセスなしに自衛隊の活動を終えることは到底できない。とすれば、立ち入り規制区域も同じ作業が必要になるはずだ。

 

行方不明者の捜索をせずにこの壮大な災害派遣活動に幕引きすることはありえないが、一方で隊員たちを安全に活動させることができる保証がなければ、「なんぴとたりとも立ち入り禁止」という政府の姿勢を変えることはできない。

 

しかし原発周辺の自治体が「もぬけのカラ」になってからはや一月が過ぎており、実際に地上の放射線量がどのように推移しているのか、最新の情報を知る者は誰もいなかった。

 

視察から東京に戻った火箱は、この件を北澤防衛大臣と折木統幕長に報告すると、受話器を取り、宮島俊信CRF(中央即応集団)司令官に指示を出した。

 

 

「宮島。中特防(中央特殊武器防護隊)を使って、規制区域の地上の放射線量を計測してくれ。それから第12旅団に30キロ圏内の行方不明者捜索を行わせるから、その時は第1空挺団も使わせてもらうぞ。」

 

「了解です。第1空挺団でも何でも、使えるものはどんどん使ってやってください。」

 

 

宮島は二つ返事だった。

 

火箱はさらに堀口第12旅団長にも「早急に30キロ圏内の行方不明者捜索について作戦計画を立案し、JTF東北(統合任務部隊)の君塚司令官に、早く捜索にかかりたいと意見具申しろ。」と伝えた。

 

実際の作戦計画は、折木統幕長率いる統合幕僚監部から君塚JTF司令官に発せられる。

 

現在の法制上、ましてや統合任務部隊ができた以上、作戦計画を立案し実行させる司令部は統合幕僚監部であり、陸上幕僚監部ですらフォース・プロパイダー(司令部に兵力を提供する立場)でしかない。

 

火箱は「陸自トップ」という立場にありながら、その指揮命令系統のラインになく、現地部隊に意見具申させるしか、なすすべがないのが正直もどかしかった。

予想より低い空間放射線量

 宮島率いるCRF隷下にあり、陸自きっての「核・生物・化学兵器の専門部隊」、中特防(中央特殊武器防護隊)。

 

3月14日に福島第一原発3号機の水素爆発に巻き込まれた岩熊真司1佐が隊長を務める中特防は、「化学防護車」や最新の「NBC偵察車」とともに郡山駐屯地を本部にして原発周辺に展開していた。

 

宮島の指示を受けた中特防は、空間線量計が装備されたNBC偵察車で、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、南相馬市と福島第一原発周辺の海岸線沿いに最新のモニタリングを開始する。

 

火箱の元に放射線量の測定結果が届いたのは、指示からわずか2日後の4月5日だった。

 

福島第一原発と飯館村を結ぶ直線上はやや高い値を示しているものの、他の地域の空間線量は思ったほど高くない。

 

 

適切な装備で、滞在時間を管理すれば行方不明者の捜索は可能だな…

 

 

 ついに火箱は、「30キロ圏内の行方不明者捜索は実行可能」との確証を得た。

 

 

(次回へつづく)

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