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陸自史上最大の作戦 東日本大震災

 前編から約2年半を経て、あの連載がついに再開した。

陸上自衛隊史上最大の作戦となった「東日本大震災」。メディアが刻一刻と報じる裏側で指揮官たちは何を思い、何を考えて行動していたのか?

地震発生直後、陸自トップ火箱芳文陸上幕僚長(当時)のとっさの機転により、全国の陸上自衛隊はいち早く被災地に向かい、その結果より多くの命が救われた。しかし…

 火箱陸幕長率いる14万の陸上自衛隊の眼前には、自然の猛威に蹂躙され荒廃した大地が果てしなく広がる。

いつ終わるとも知れぬ災害派遣活動の中で、部隊は次第に憔悴の色を深めていく。

地震と大津波による災害への対処と福島第一原発事故という「二正面作戦」を強いられた陸上自衛隊。

どこまでいっても勝つことはない「自然災害との戦い」の先に、彼らを待ち受けていたものは?

第52回 大鷲の憂愁 獅子の涙(20)

福島県に展開する部隊

 火箱陸幕長が第12旅団を視察した4月3日時点で、福島県には多くの部隊が展開していた。

 

福島県担任部隊として郡山駐屯地に司令部を置く第12旅団は、第30普通科連隊、第13普通科連隊が福島県の北半分を、そして福島南東部のいわき市には広島県海田市(かいたいち)駐屯地に司令部を置く第13旅団隷下の第8普通科連隊の増援を受けた第2普通科連隊が展開している。

 

さらに宮島司令官率いる陸自最精鋭部隊であるCRF(中央即応集団)隷下の第1空挺団は第12旅団配属(一時的に第12旅団の指揮下に入る)という形で、空挺団所属の3つの大隊が、30キロ圏内のすぐ外側である、いわき市、田村市、飯舘村にそれぞれ配置され、屋内避難区域に指定されていた20キロ〜30キロ圏内の要救助者救出準備に携わっている。

 

また、30キロ圏内のすぐ外側に当たる、いわき市北端の「いわき海浜自然の家」にもCRF隷下の中央即応連隊が待機している。

 

これらCRF隷下の第1空挺団と中央即応連隊は、福島第一原発に万が一の事態が起きた場合に、規制区域に突入し、原発内の東電社員を始め危険区域内の住民らを命がけで救出に行く「極秘作戦」の可能性を秘めて、30キロ圏ギリギリの外側に貼り付いていた。

 

火箱の中では、30キロ圏内の行方不明者捜索には、第12旅団と第1空挺団を当てる肚づもりはできていたが、この2つの部隊を30キロ圏内に突入させた場合、その外側のエリアでの活動をどこが肩代わりするのかなど、多くの部隊にまたがる調整が必要になる。

 

火箱は陸上幕僚監部の小林茂運用支援・情報部長を呼び、福島県全体の計画策定と調整を行ない、統幕に意見具申するよう指示を出した。

幕僚=参謀 運用=作戦

 どうも自衛隊の話は、あまり馴染みのない人には言葉が難しい。

 

そもそも火箱が指示した陸幕の「運用支援・情報部長というのは本来、何をする人なんだ?」ということからして、よく分からないという向きもあるだろう。

 

言葉を分かりづらくしている要因の一つには、自衛隊を作った時に、「軍隊とは違う」というイメージを作るためにか、軍事臭のする用語を徹底的に排除したことがある。

 

例えば「幕僚」。これは戦前の言葉で言えば「参謀=作戦を立案する人」がほぼ近い。(戦前にも参謀ではない幕僚はいたが)

 

だから火箱の肩書きである「陸幕長」は戦前風に言えば「陸軍参謀総長」になる。

 

「運用」とは戦前の言葉で言えば「作戦」。

 

そして作戦には「当面作戦」と「将来作戦」の二つがある。

 

「当面作戦」とは字の如く、目の前の事態に対処する作戦。そして「将来作戦」は「これから先々どうしていくか?」、すなわち当面作戦が終了した後、部隊を次の段階でいかに運用するのか?という作戦。

 

かつての陸幕では、こうした作戦を「陸幕防衛部」が担当しており、そこに幕僚=参謀が勤務していた。

 

ちなみに「情報」というのは字の如く、さまざまな情報を収集し、調査することで、かつては「陸幕調査部」が所管していた。

運用支援・情報部長とは

 しかし2006年に自衛隊の体制変更があった。

 

これからは陸・海・空が一緒になって「統合運用」することが重要だという考えから、統合幕僚会議が統合幕僚監部に格上げされ、それに伴って権限も拡大された。

 

この新しい体制のもとでは、防衛大臣に作戦上のアドバイスをし、防衛大臣からの作戦上の命令を受けるのは、一元的に統合幕僚監部の長たる統幕長ということになっている。

 

だから火箱は直接、北澤防衛大臣に意見を述べるのではなく、折木統幕長へ統幕経由で意見具申するという、一見まだるっこしい手続きを踏もうとしている。

 

そしてこの体制変更に伴って「陸・海・空の運用(当面作戦)を立案するのは統合幕僚監部の運用部(当面作戦部)」ということになり、各幕僚監部の防衛部にいた幕僚(参謀)たちは統合幕僚監部の運用部に吸収された。

 

しかし統合幕僚監部は、手足を持っていない。実際の部隊を指揮・監督しているのは陸海空の各幕僚監部だ。

 

だから統合幕僚監部運用部の幕僚たちが当面作戦を立案・実行するためには、各種の連絡調整などを行なう部署が陸海空の各幕僚監部に必要になる。

 

これに先立ち、1997年に陸海空と内部部局(背広組)の調査部や調査課が「情報本部」に統合されたので、こちらも同様の理由で各幕僚監部に、それを補佐する部署が必要になる。

 

こうしてできたのが、陸上幕僚監部の「運用支援・情報部」という部署だ。

 

だから、より分かりやすい言葉で言えば、「運用支援・情報部長」とは、「統合幕僚監部の参謀たちが、当面作戦の立案・実行をやりやすくするために、陸上幕僚監部として総合調整などお手伝いをする部門の長」、ということになる。

初めての大規模統合運用

 自衛隊の「統合運用化」は望ましいことだが、現実には体制を変更したからといって、初めからうまくいくわけではない。

 

統合幕僚監部だって人員・人材が十分なわけではないし、そもそも東日本大震災は統合幕僚監部ができてから、初めての大規模な統合運用の経験だった。

 

陸海空にはそれぞれの事情があるし、特に、展開している部隊の大半が陸上自衛隊で占められているこの災害派遣において、空や海の幕僚(参謀)たちが膨大な数が広い地域に展開している陸の部隊の状況を正確に把握し、速やかに妥当な計画を立案するのは、実際にはなかなか難しいものがあるだろう。

 

と、少なくとも火箱は感じていた。

 

だから火箱の気持ちを忖度して、その行動を分かりやすく解説するなら多分こういうことなのだろう。

 

 

「役所の縦割り行政よろしく『作戦を立てるのは統幕の仕事』みたいにしていたら、いつまで経っても話は進まない。だから勝手知ったる陸幕が、現地の各部隊と調整して、主体的に福島県の当面作戦の原案を提出して、統幕を補佐してやれよ」

 

 

火箱は組織の壁を歯がゆく感じながらも、「30キロ圏内の行方不明者捜索」を一刻でも早く実現すべく、考えうるすべての手を講じようと奮闘していた。

 

 

(次回につづく)

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